この『リッチくんのバレンタイン』を書いたのは、小泉今日子が「中年の星」のような扱いを受けはじめたころです。年齢も40歳を越え、「36歳の危機」は克服されつつありました。

 小泉今日子は、「36歳の危機」を迎える以前から、「若さ」こそ「死」に近いと考えていました。そして、「死への憧れ」を断念することを、「大人になる条件」とみなしていました。31歳のときに出版された『パンダのanan』にはこう書かれています。

<今の私は10代の人達の儚く消えてしまいそうな魅力にクラクラとノックアウトされるだけ。いろんな経験や出来事が血となり、肉となってしまった今、海の泡になってしまいたいという気持を胸に抱いている事はズルイ事なのだと思う。反則なのだ>

 若者は、この世の秩序に組みいれられていない分、「この世の向こう側=死」の近くにいます。これに対し、大人は社会の中にポジションを持ち、そこで力を発揮するすべを知っています。だとすれば、「大人」でありながら「死=俗世の縛りから逃れること」に憧れるのは、小泉今日子のいうとおり<反則>です。

 この世に居場所がなかった――それゆえ純粋でまぶしかった――リッチくん。40代になった小泉今日子は、彼を<青春の記念碑>として描きます。おそらく彼女自身の「死に近い部分」と訣別するために。

小泉今日子は、死者たちを見送ることを通して「自分が手放さなくてはいけないもの」と向きあいました。『原宿百景』の<あまりの暗さ>は、それが容易な作業ではなかったことをうかがわせます。それでも彼女は、「自分が諦めたもの」への「喪の作業」を完了させ、「36歳の危機」を切り抜けました。

※「小泉今日子が20歳年下の彼から学んだこと」につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

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