ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回はテニス仲間について。
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精神分析における防衛機制のひとつに『逃避』があるという。たとえば、明日が学校の試験のとき、しなくてもいい掃除をしたり、ゲームをしたり、DVDの映画を見たりして現実から眼を逸らし、試験の結果がわるくても、勉強する時間が足りなかったから、と自分に言い訳をする──。
わたしは子供のころからこの逃避行動がひどくて、明日、たまった宿題を提出しないといけないというような晩は無性に眠くなった。それで翌日は廊下に立たされるわけだが、眠たかったんやからしゃあないやんけ、と欠片も反省しなかった(うちの息子も小さいとき、いやなことがあると寝ていた)。
いまもわたしはよめはんに説教されると、仕事部屋にこもって一、二時間、寝る。起きるとすっきりして説教された理由を忘れているから、それをよめはんがまた怒る。
中学、高校と、わたしはいやなことをすべてあとまわしにするキャラクターを得た。予習、復習は絶対にせず、そもそも家で机の前に座ることがない。高校三年の秋になって、ふいに「美大へ行ってデザインをしよう」と思い立ち、学科の勉強やら実技の練習をはじめたが、長くても三時間で糸が切れる。そんな高校生がたったひとつ受験した志望校に合格するわけがない。めでたく浪人になったが、朝は十時から近所のパチンコホールに並んで開店サービスのチューリップを閉め、午後は雀荘に集まって夜まで麻雀をする。土、日はミナミやキタに出て、道行く女子に声をかけ(そう、あのころはナンパが流行[はや]っていた)、腕時計を質に入れてはデート代にあてていた。まだ美大に行く意思はあったが、流れるままの逃避の毎日だった──。
翌年もまた、同じ美大のデザイン科を受けて不合格。父親の内航タンカーに乗せられた。毎日、毎日、寝る時間もない重労働に音をあげて、次の年、破れかぶれで彫刻科を受験したら、なぜかしらん合格した。