歌舞伎の世界に魅了されたのは、小学校3年生のときだ。初めて歌舞伎の舞台に立ち、そのときに、三代目市川猿之助さんの「義経千本桜」を観て、子供ながらに心躍らせた。特に惹かれたのは、のちに師匠となる猿之助さんが演じた“源九郎狐”の役だった。
「自分の両親の皮でできた鼓を慕って、狐が、配下に化けて、桜降りしきる吉野の山の中、義経に会いに行きます。本性を悟られ、狐はその場を去ろうとするが、最後は親を思う小狐の姿に義経が感動し、朝廷からの賜り物の鼓をプレゼントする。師匠の演じる狐は喜んで、宙乗りで中空高く飛んでいったのです」
義経は、兄の頼朝に命を狙われている立場。戦乱の世とはいえ、人間でありながら当時の武将は獣のような闘争心を抱えていた。一方、獣でありながら親の形見に焦がれる狐からは、人間以上の親子の深い情愛が感じられた。
「そのファンタジックな展開に、僕は興奮が抑え切れなかった。たぶん、小さな子が初めてディズニー映画を見ている感覚に近かったと思います」
その後、猿之助さんから、子役として舞台に呼ばれるようになり、小学校6年生の秋に、「東京に出てこないか」との誘いを受けた。
「中学進学と共に上京してみると、中学生なんてまだ子供。やっぱり寂しいんです。当時は、大学を出たら大阪に帰ろうかとも考えました。でも、僕が中学3年のときに、師匠から『最終的には大阪に連れて帰られるんですか?』と質問された父は、『中学でお預けしたとき、一生お預けするつもりでした』と答えたそうです」
17歳のときは海外公演にも参加した。字幕スーパーもイヤホンガイドもない時代。歌舞伎をそのまま演じて、海外の人にわかってもらえるのか不安だった。
「でも最後に嵐のような拍手がいただけて、『これを一生俺はやっていく』という、武者震いするような緊張感を覚えた。同時に、舞台の恐ろしさも感じました。裸で立たされているような、お客さんに、命の奥底まで見られているような気分にもなりました」