TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、3.11について。
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1万8千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から9年である。
2011年3月11日午後2時46分は番組定例会議中だった。だから僕も含めてスタッフはそのまま災害特番態勢に入った。半蔵門の局舎から見下ろすとOLやビジネスマンが皇居周辺に集まっていて、やがて新宿通りは大渋滞になり、コンビニからは飲料や食べ物が消えた。津波被害が明らかになるにつれ、言葉しかないラジオは命一つ一つのありかを伝える内容になった。
思い立って山形空港まで臨時便を使い、レンタカーで現地に入った。若林、塩釜を経て南三陸町に出た。
泥だらけのラジオに赤いランドセル、先生を囲む体育着姿の中学生の集合写真と自衛隊車両以外、何もなかった。治水は無理だ。コンクリートの盾で自然に対抗しても駄目だ。気仙沼に入るや魚らしき腐臭が鼻を突いた。鳥も鳴かず、人がいない。マイクを向けても音はどこにもなかった。
先日、映画「Fukushima 50(フクシマ フィフティ)」に足を運んだ。前の席は親子連れ。新型コロナウイルスの影響で臨時休校となったからだろうか、若いお父さんと小学生らしき女の子だった。
6基の炉を抱える東京電力福島第一原子力発電所にアラームの鳴り響く発災シーンに思わず背筋が伸びた。主人公は二人。吉田昌郎(まさお)所長を渡辺謙さんが、地元雇用で1、2号機当直長伊崎利夫を佐藤浩市さんが演じている。巨大津波後1日が経過した午後3時36分、外部電源を失い原子炉を冷やせなくなった1号機が水素爆発、世界最悪のレベル7の事故は、国や電力会社が神話のように「安全」と言い続けた原発の危うさを露呈させた。
被災地でマイクを向けても音がなかったと書いたが、画面には音が溢れていた。現場職員が覚悟を示すかけ声、東京から無理難題を突き付ける東電本店の命令(そもそも福島原発は東京の電力を賄うものだった)、情報不足に苛立つ首相、避難所にいる家族からのメール、タバコをくゆらせ吉田所長がふと口ずさむ地元の民謡「相馬流れ山」。異常事態の中、最も危険な状態をかろうじて潜り抜けた現場作業員の姿には迫真性があった。作品試写はまず福島・郡山で行われ、舞台挨拶で地元司会者が感極まったという。