自分は贈り物の時間を残せるのか。これからは死後生ということも心にとめて、人に接したいと思う。
死へと向かっていく友人に、記者は深い思いを抱いた。頻繁に顔を合わせた、かけがえのない時間を振り返り、やはり贈り物だったと思う。
人間は必ず死ぬ。日々過ごしているのは、死に向かっていることでもある。
ただ、一度も死んだことがないし、亡くなった人に死んだらどうなるの、なんて聞けない。そうこうして死を考えることから避けてきたのだ。そして二人はこう伝えたのだろう。
「死を思え」
専門家にたずねた。日本尊厳死協会の江藤さんは、死について考えることがタブー視されなくなったこと、自分らしく生き、自分らしく死ぬという尊厳死を望む人が増えていることを話してくれた。
ケアタウン小平クリニックの山崎さんは、余命が短い人は、その状況をどう納得するかがカギになる、と言った。そのためにじっくり向き合い、話を聞くそうだ。
もし自分に突然、死を突きつけられたらどうだろう。
余命を納得する? 納得なんてできるのだろうかと、今も率直に感じる。
ただ、ある人は、あの世に行った人は誰も戻ってこないので、きっといいところなのだろう、と言っていた。そうすると、死は怖くないのかもしれない。
今を精いっぱい生きることで、悔いのない死を迎えることができるのでは、というのが自分にとって今のところの一つの答えなのだと思う。
これから先、自分の心がどう変化するかわからないが、最期までジタバタ、アタフタするのだろうと思う。でもそれが「自分らしい生き方」なのだろう、と先回りして納得する。
さて終活へ、僕も心構えぐらいはできたのだろうか。(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2020年4月10日号
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