写真家として本格的な活動を始めたこの10年、衝撃的なテーマを次々と扱ってきた。結婚を拒否したために硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、人さらいのように女性を力ずくで奪うキルギスの誘拐結婚、ダーイッシュ(イスラム国)に土地を侵略され多くの女性が性暴力を受けたイラクのヤズディ教徒。時間をかけた丁寧な取材が実を結び、完成度の高い写真集を出す。国内外を問わず受賞歴も多く、名取洋之助写真賞、フランス世界報道写真祭「報道写真特集部門」金賞、全米報道写真家協会「現代社会の問題部門」1位、山本美香記念国際ジャーナリスト賞など、写真家として高い評価を受けている。

 林の特徴は、写真集を出して一つの結果を残しても、そこでプロジェクトが終わらないことだ。取材対象者とは交流を続け、必要なら「その後」を伝え続ける。渡航費も時間もかかる作業だが、手を抜くことはない。それでいて新しいテーマにも果敢に挑んでいく。粘り強さとチャレンジする姿勢がバランス良く両立している。

 83年、神奈川県川崎市で会社員の父・林則孝(64)と専業主婦の母・英子(66)の長女として生まれた。4歳で埼玉県に引っ越し、その頃、アウトドア好きの英子に連れられて山登りによく連れて行ってもらったことを覚えている。幼少のころは集団行動が苦手で、幼稚園受験の面接のときにはあまりに泣き叫んだため先生たちに担ぎ出された。小学校に入ると友達も増えたが、短い髪にズボン姿で男の子のように見えたことから、ついたあだ名は「あきら君」。ジャングルジムやドッジボールが好きな活発な子どもだった。両親によると、「一度決めたら変えない芯の強さ」は、この頃から持ち合わせていたという。

(文/桐島瞬)
                                                                 
※記事の続きは「AERA 2020年4月13日号」でご覧いただけます。

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