哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
* * *
コロナの話を書きたいのだが、日々状況が変化しているので、うかつなことを書けないという話は前回もした。「ニューズ」がたちまち「旧聞」に化する時代に私たちは生きている。これは端的に「よくないこと」だと私は思う。何を言っても、少し時間が経てば誰も見向きもしないということが習慣化すると、私たちはもう「一言を重んじる」という習慣そのものを失ってしまうからである。過去の自分の発言の誤りを検証し、どんなデータを見落としていたのか、どんな推論上の誤りを犯したのかを吟味することは、私たちの判断の精度を高めるために必須の作業である。しかし、「そんな昔のことは誰も覚えちゃいない」で話が済むのなら、私たちは失敗から学び、判断の精度を上げることができなくなる。
だから、タイムスパンを広めに取って、正否の検証のために数カ月ないし数年を要するような「気長な仮説」を優先的に提示する方がよいのではないかと思いついた。仮説の検算という「楽しみ」を数カ月先まで先送りできれば、その間はずっと自説の当否についてどきどきしていられる。速報性はないが、とりあえず自分の知性がまともに機能しているかどうかを検証することはできる。
というわけで、「ポスト・コロナ時代」の話をすることにする。私の現状認識が適切であれば、蓋然性の高い未来予測ができるはずである。
ポスト・コロナ期についての未来予測のトップは「アメリカの相対的な国威低下と中国の相対的な国威向上」である。
コロナ禍への対応に際して、トランプ大統領は秋の大統領選という短期目標を優先して、米国の有権者以外、誰も喜ばない自国ファースト政策を選択した。
一方、習近平主席は国際社会に「中国の味方」を増やすというもう少し先を見越した政策を選択した。軍拡や「一帯一路」への協力要請よりも、医療支援を通じて国際社会に中国に対する信頼を醸成することの方が安全保障上の費用対効果がよいということに中国は気がついた。米中のこの先見性の差はポスト・コロナ期に予想以上に大きな影を落とすだろう。この私の予測は果たして当たるだろうか?
※AERA 2020年4月13日号