勉強は試験で点数を取るためのものではなくて、人生の糧となる知識を身につけるため。それが結果的にテストの点数や大学合格につながるという考え方が徹底していましたね。iPS細胞の山中伸弥教授もこういう校風に育まれ、ノーベル賞を受賞されたのだと思います。塾にも通いませんでした。お金と時間の無駄だと思っていたんです。ラジオ講座で基礎は十分だと。その代わり、志望校を一つに絞って、傾向を分析しました。例えば、答えは間違っていても部分点をきちんとくれるとか。東大の場合は最後の答えが間違っていれば0点と聞いていましたから、ケアレスミスの多い自分には向いていない。とにかく少しでも部分点をもらうことを考えていたように思います。

 かつて、「東大生」というと未来の官僚候補で、国を背負って立つエスタブリッシュメントの象徴的存在。そこに対抗心を燃やすのが京大生、という構図がありました。今は東大生の官僚志望者が減ってきているそうで、両大学の関係性も変わりつつあるのがちょっと淋しいですね。いずれにせよ、自主性と独創性を重んじる京大精神は、これからも輝き続けてほしいと思っています。

■「吉田寮は野獣のすみか(笑)。野党精神が政治活動に生きた」
東京都港区区議 マック赤坂さん

 京大生活で最も培われたのが、野党精神です。権力に対しては歯をむき出しにして対抗していく。そんな在野心が、その後の政治人生にも大きく生かされました。

「スマイル党」の総裁として、2007年の港区区議選を皮切りに、国政選挙や東京都知事選、大阪府知事選など計14回出馬して13回落選しましたが、今は区議として活動しています。

 大学卒業後に就職した伊藤忠商事も非財閥系の商社だったので、その意味で、自分に見合った環境で過ごしてこられたかなと思っています。

 大学時代は、学費のほとんどを奨学金とアルバイト代で賄う苦学生でした。家庭が貧乏だったので、仕送りは最低限。平日は家庭教師や肉体労働、土日は旅館の泊まり込み等、ありとあらゆる仕事をしていました。

 家賃を安く抑えるために当時住んでいたのが、日本最古の学生自治寮「吉田寮」です。1913年に造られた木造建築の建物で、外観も内装もボロボロ。寮には食堂がついていて、夕飯が予約できたんですが、バイトが終わって寮に帰ると、他の寮生に食べられていることもよくありました。そうなるともう、近くのラーメン屋に駆け込むしかない。悔しかったので、自分も他の寮生の食事を取ってこっそり食べていました。野獣のすみかでしたね(笑)。

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