■小倉隆史

“レフティーモンスター”の愛称で親しまれた名選手。見る者を魅了する豪快なシュート、巧みなドリブルでファンの人気を集めた。

高校時代から大きな注目を集め、1992年に名古屋グランパスへ加入。1年後には10代にして海外移籍を選択し、オランダ2部エクセルシオールで31試合14ゴールと見事な活躍を披露した。その1年後、1996年のアトランタ五輪を見据えてJリーグへの復帰を選択。

早々にフル代表へ招集されると、マルセル・デサイー、ディディエ・デシャンら錚々たるメンバーを擁していたフランス代表戦(キリンカップ)で、A代表での初ゴールをマーク。プロリーグが発足したものの、まだまだ“サッカー後進国”であった日本のサッカーファンにとっては、未来のスター誕生への期待が大きく高まった瞬間でもあった。

しかし、アトランタ五輪最終予選直前の合宿中に右足後十字靭帯断裂の重傷を負い、約2年間に及ぶ長期離脱を強いられる。この大ケガにより、「怪物」のキャリアは難しいものとなってしまった。五輪出場も叶わず、本人も長い後遺症に悩まされたことを後に語っている。

■大島僚太

現在も川崎フロンターレで活躍する27歳。日本人選手の中では飛び抜けたパスセンスやゲームビジョンを有しているものの、代表にはなかなか縁がない状況が続いている。

川崎F入団後、2011年にプロデビュー。その後も順調に成長を続けていたが、翌年から負傷に悩まされ度々チームを離脱することに。それでも2016年のリオデジャネイロオ五輪では中心選手として活躍。チームはグループリーグ敗退となったが、当時フル代表を率いていたヴァイッド・ハリルホジッチ監督から高い評価を受け、ロシアW杯直前の欧州遠征にも招集された。

現在も川崎フロンターレで活躍する大島僚太
現在も川崎フロンターレで活躍する大島僚太

本大会メンバーにも選出されたが、自身のケガや指揮官交代の影響もあり、ピッチに立つことはできず。森保一監督が率いる現代表でも、頻発する負傷によって定着できない日々が続いている。だが、その才能は日本の選手の中で特出しているだけに、今後はケガなく自身の能力を最大限に生かしたプレーを代表などで見せて欲しい。


暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ
日本最高のスピードスターになるはずが…