でも、生命が誕生した頃はウイルスのような形をしていたという説もあるので、生命と非生命の間の存在と言われることもあります。
よく「ウイルスが死ぬ」と言いますが、細胞に侵入する機能を失った状態を言っているだけなので、難しい言葉ですが、「不活性化した」と言うほうが正確です。
ウイルスは、最初に説明した「カプセル」が、感染されることになる生物の細胞の膜と反応することで細胞に侵入できます。しかし、何の生物にも感染しない状態で「外」に放置されていると、数時間から数十時間でこのカプセルが破壊されてしまい、感染する能力を失います。つまり、これが「活性を失う」という状態です。
感染予防のために手洗いや消毒をするように言われるのは、石鹸で洗ったりアルコールでふいたりすると、その時点ですぐに、このカプセルが破壊され、ウイルスが不活性化するからです。生物であれば、危害が及ぶといろいろな対抗措置をとるものですが、ウイルスにはそれがありません。単なる「カプセルに包まれた化学物質」という点で、ウイルスはただの“物”と言えるのです。
では、なぜ私たちはウイルスを“生き物”だと思うのでしょうか。それは、私たち人間が何かを“生き物”だと思うことに利点があるからです。“物”だと判断すると、自分では動かない受動的なものと考え、“生き物”だと判断すると、意図をもって動く能動的なものと考えます。そして私たちは、意図をもって動くものに対しては、相手の気持ちを考えたり対話をしようとしたりするからです。
ではそもそも、“生き物”かどうかは、どのように判断しているのでしょうか。現在では、乳幼児に対するいろいろな実験によって、どんな“物”を“生き物”と思うのか、その傾向がわかってきています。
第一の判断基準は「動き」です。単純な動きは“物”、不規則な動きは“生き物”と見られやすいのです。たとえば、石は単純に落下しますが、鳥は思いもよらない方向に飛んでいきますね。“生き物”の場合には、食べ物を探しに行った、驚いて逃げたというような解釈をすることで、不規則な行動の意味や目的の一部を理解できたという気持ちになれます。