山梨大の島田眞路学長も医学部出身だ。島田学長は早くから新型コロナウイルス感染問題に対応していた。2月に同大学附属病院でダイヤモンド・プリンセス号からの患者を受け入れており、その際、こう記している。
「既にPCR検査陽性の乗客で飽和した多くの医療機関では、受け入れの余力が失われていた。乗客の安全を守るために最後まで務めを果たした乗務員と、国を護るため粉骨砕身で尽くした政治家や行政官を路頭に迷わせるわけにはいかない――。国立大学の学長として、今こそ立ち上がる時だと決意した」(医療関係者向けサイト「医療維新」から、3月12日)
大学関係者に感染者が確認されないことに安堵しつつ、感染防止の手綱を緩めないのが富山大である。齋藤滋学長はこう話している。緊急事態宣言が一部の都府県に限られたころだ。
「入学生の8割が県外出身者ですので、前期授業開講日を3週間延期し、4月23日から開始としました。現在までに1人も発症していませんので、教職員・学生は感染していないと判断できます(安全性の担保)。学生諸君には、不要不急で緊急事態宣言が発令されている都道府県への移動を禁止します。もし、立ち寄った場合には、2週間の自宅待機を要請します」(大学ウェブサイト、4月15日)
大学に「移動を禁止」「自宅待機を要請」する権限があるのか。厳しすぎるという意見が出ていた。福島県内の私立大学で教授が「県外に出たら退学処分」と発信したこともあったからだ(のちに大学は取り消す)。一方で、富山県内ではその後、小学校でクラスター(感染者集団)が発生しており、学長のメッセージを評価する声も出ている。
龍谷大の入澤崇学長はツイッターで盛んに発信している(「龍谷ミュージアム元館長のつぶやき」=「いまは龍谷大学の学長を務めています」@tirisawa)。宗教者らしい説諭に、ときおり政権批判が加わり、ファンも多いが反発もあるようだ。
「他人が電車の中で咳払いしただけで不機嫌さを露わにするおじさんがいます。他者に対する不寛容が顕わになる日常というのは健全ではありません。新型コロナウイルスの感染拡大という状況下、不快になることは理解できますが、他者へのいたわりがなにより大事です」(3月5日)
「『ウイルスと闘う』、この表現は極めて危険です。無意識のうちに、ウイルスに感染した人を容易に『敵』とみなしてしまいます。差別感情も生み出します」(3月7日)
「首相の『全世帯に布マスク2枚配布』を聞いて、椅子からずり落ちそうになりました。補償をしてくれないと店や会社がつぶれるといった国民の声に応えるのかと思いきや、マスク2枚。昔のドリフのギャグじゃないか、まるで。もっと真面目にやろうよ」(4月1日)
「いま大切なことは感染を徹底的に抑え込むこと。政府はそれを果たして認識しているのだろうか。『自粛』を求めるなら『補償』をすると明言しないと。税金はこうした緊急事態のときこそ国民のために投入すべき。お金儲けの経済のことしか考えてこなかったから、『経世済民』の経済がわからなくなっている」(4月10日)
「私たちの暮らしを守るために懸命にはたらいてくれている人たちがいる。物流を停滞させてはならぬと運転に集中するドライバーの皆さん、家族が心配するなか仕事に精励するスーパーやコンビニの皆さん、笑顔で声をかけてくれるゴミ収集車の皆さん。見えていないところでも多くの人達が暮らしを支えている」(4月27日)
大学トップの発言内容は、その大学の考え方と受け止められかねない。それゆえ、学長時代には立場上言えなかったが、学長を辞めてから思い切った発言をすることもある。青山学院大の三木義一・前学長は2019年12月に学長を辞めてから、歯に衣着せぬもの言いが話題になっている。以下、東京新聞の連載コラムからだ。
「(オリンピック)延期を安倍政治の延期につなげるのは縁起でもない。公正な政治と青空の下でオリンピックを楽しむためには、コロナウイルスとアベノウイルスとの縁切りが必要不可欠だ」(3月26日)
「新型コロナが『におい』に影響を与え、感染者はにおいがわからなくなる、という報道がなされた。これで私の疑問が解けた。それは、今の政権中枢部からは腐臭が漂っており、普通なら鼻をつままなければ耐えられないはずなのに、なぜ彼らは互いに感じないのか、という疑問であった。重症でなければよいが」(4月2日)