今年連載25周年を迎える作家・林真理子さんの「マリコのゲストコレクション」。こんなときだからこそ、歴代ゲストの「ポジティブワード」を読んでパワーを充電し、コロナ禍を乗り切りましょう。今回は2007年8月10日号から、漫画家やなせたかしさんです。
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「アンパンマン」の生みの親として知られた、やなせたかしさん。実は漫画家としてブレークしたのは54歳と遅咲きでした。ゲストとしてご登場いただいたのは、米寿を迎えられたとき。ぴしっと伸びた背筋にユーモアたっぷりの話し口。仕事スピードがとても速く、何にでも興味津々で、チャレンジ精神旺盛なやなせさんに、マリコさんも勇気づけられ──。
林:先生の年代ですと、もちろん戦争を体験なさってるわけで、ひもじい思いもなさいましたでしょう。
やなせ:しました。最初、僕は九州の小倉の部隊にいて、そのあと中国へ行ったんですけど、「籠城して上海決戦だ」とか言って、食糧を倹約するから、食事は薄いおかゆなんですよ。ひもじくてね。ひもじさに耐えるというのは、ほんとに大変でした。そのへんの野草でも何でも食べるという感じですね。
林:私、拝見してませんけど、「アンパンマン」の最初のストーリーは、アンパンマンがおなかがすいた旅人に自分の顔を食べさせるんだそうですね。それは先生の飢餓体験みたいなものが反映してるんですか。
やなせ:そうです。ひもじいというのがいちばんつらいの。恐ろしいことに、人は究極の状態になれば何でも食べてしまうんです。ひもじい人を助ける、それが正義なんだよ。大地震があって、食べるものが何もないときに、一切れのパンをくれる人がいちばん正義感ある人だと思った。そういうヒーローをつくろうという気持ちがずっとあったんです。
林:それでアンパンマンができたわけですね。「アンパンマン」には、クリームパンダ、ナガネギマン、メロンパンナ、いろんなキャラクターが出てきますけど、いくつぐらいお考えになったんですか。