■寝台車つき普通列車が走っていた!?
国鉄時代に遡ると、夜行普通列車はまさにありきたりの列車と化す。
1965年4月ダイヤを開くと、東京~姫路、京都~鳥栖、門司港(鹿児島本線・肥薩線経由)都城、上野~青森、函館~釧路など、いまでは考えられない長距離の夜行普通列車がそこここに見られる。東京~大阪や大阪~門司、大阪~新潟などはダブルトラックどころか都合3往復が設定されているケースがあるほか、上野~青森は東北本線と常磐線、奥羽本線と3つの経路にそれぞれ夜行普通列車が往復していた。ダイヤ例を挙げると、青森発(奥羽本線経由)上野ゆきは青森発7時00分、上野着が翌朝5時06分で、所要時間は22時間6分にも及ぶが、当時はこのようにスケールの大きな普通列車が決して例外的存在ではなかったのである。
いまひとつの注目点が、寝台車を連結する普通列車だ。同ダイヤでは、京都発門司行き(山陰本線経由811列車)の米子~門司と、門司港~長崎(411/412列車)、門司港~西鹿児島(現・鹿児島中央。511/512列車)、小樽~釧路(421/422列車)に2等寝台車が連結されていた。2等寝台はのちのB寝台で、寝台料金は下段が800円、中段700円、上段が600円。ちなみに初乗り運賃(3キロメートルまで2等)は10円、駅弁が100円程度という時代である。
■愛称つきとなった寝台車連結普通列車
こうした寝台車つき夜行普通列車はその後も引き継がれていった。1976年7月ダイヤを見ると、つぎの列車にB寝台車連結マークが見られる。
・「山陰」京都~出雲市
・「ながさき」門司港~長崎・佐世保(寝台車は長崎編成に)
・「南紀」名古屋~天王寺(紀勢本線経由。寝台車は新宮~天王寺)
・「からまつ」小樽~釧路
1965年と比較すると、門司港~西鹿児島間列車が急行「日南4号」に格上げされたほかは、ほぼ列車を引き継いでいる。上野~青森や東京~姫路など姿を消した列車も多いなか、伝統のように寝台車つきとして健在しているのが不思議な気がしないでもない。また、それぞれに愛称がつけられているのは、寝台券発券の関係だと思われる。