半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「公開制作。描くのは小説よりスポーツに似て」
セトウチさん
コロナから離れた話をします。
画家に転向した当時、アトリエがなくって、困っている時、妻が成城のお屋敷を何軒も訪ねまわって、「絵の描けるスペースがあれば貸していただけませんか」と。そしてご主人が亡くなって空室になった部屋を見つけてきました。
その後も、制作場所を探し続けました。美術館やテレビ局やボクシングジムや、多目的ホールなど、なるべく無料で借りられる場所です。無料で貸す代わりに交換条件として公開制作を提案されたのは美術館です。願ったりかなったりの条件ですが、人前で絵を描いたことはない。それでも描くスペースを与えてもらえるなら、恥ずかしいとはいっておれない。そして公開制作はいつの間にか僕の専売特許みたいになってしまった。
その昔、北斎がお寺の境内で大きいダルマの絵を公開制作したことがありました。公開制作第一号は北斎、第二号は、僕ではないかな? でも今では、僕に倣って、色んなアーティストが公開制作をライブペインティングと名付けてイベント化するようになっています。
環境を変えることで僕の場合は画風が変わります。作風が固定化し始めると僕は今でも公開制作によって、従来の形式を打開するようにしています。生まれつき飽き性の性格なので、自分の作品が固定化し始めると不安になります。常に変化し続けないと安心できないのです。同じような絵がしばらく続くと、公開制作をして、その日から作品の傾向を変えます。
大勢のお客を前にして演じることは、演劇に近い行為ですが、演劇のように予定調和的な台本がありません。瞬間瞬間に去来するインスピレーションに従うやり方です。これはかつて一年間禅寺で参禅して、坐禅をした効用が生きているような気がします。
絵を描く僕の背後には100人、時にはもっと沢山(たくさん)の観客が固唾(かたず)を呑(の)んで、咳(せき)ばらいひとつしないで見守っています。そんな観客の想念が背中に矢のように突き刺さります。そんな観客のエネルギーを全部吸収して画面にぶつけて描くのです。