稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
この美しいネックラインに憧れバレエに惹かれたのです。だが道は険しすぎた……(写真:本人提供)
この美しいネックラインに憧れバレエに惹かれたのです。だが道は険しすぎた……(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんがバレエに惹かれた理由は…

*  *  *

 緊急事態がひとまず終わった。ようやく恋しい日常へ。なのに……一抹の寂しさがあるのは私だけ?

 確かにこの間、通っていたカフェも次々閉まり、仕事も次々解約され、世界が凍りついていく恐ろしさを体感した。でも一方で、思いもよらぬ世界が現れたのだ。

 まず、信じられないほど物々交換が増えた。SNSの何気ないやりとりから、あるいは何のきっかけもなく、全国の知人から「元気?」の手紙とともにマスクやら蜂蜜やら酒やら山菜やらが届いた。毎回わあと声が出た。お礼に何を送ろうか。手縫いのエプロン、大好きなパン屋のパン、愛用の煮干し……まあ地味なもんばかり。でもきっと私らしいと笑ってもらえるだろう。開けた時の相手の顔を想像するのは心躍る時間だった。

 思わぬ習い事も始めた。齢55にしてまさかのバレエ初体験。カフェ常連仲間のダンサーが、当面仕事がないからと初心者向けオンラインクラスを始めたのだ。「私もやろっかな」と口走ったのが運の尽き。狭い部屋の本棚にしがみついて毎日1時間半。驚くほど体が動かないのに加え、Zoomの使い方はわからんわスマホの極小画面が老眼で見えねえわで毎度大パニックである。だがそんなダメおばさんにも言葉を尽くして正しい動きを伝えようとする先生の姿勢に背筋は伸び、いつしかレッスンが日々の心の支えになった。クラス終了を寂しく思っていると、先生から「皆さんのおかげで僕は頑張れました」とメールがありジンとする。人はどこでどう支え合っているかわからない。

 いつもの近所の人との絆もやばいほど深まった。おしゃべりは減った分、豆腐屋のおまけは毎度すごいことになり、米屋は奥様が作った筍ご飯を配達に来てくれた。お礼は頂き物のおすそ分けだ。

 世界はちっとも凍りついてなどいなかった。

「人と接触してはいけない」と命じられた我々は必死に手を伸ばし、人と繋がろうとした。そしてその先に、ちゃんと誰かがいた。世界はそういうふうにできていたのだ。

AERA 2020年6月8日号

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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