喜劇俳優の芦屋小雁さんと結婚し、子宝にも恵まれ、神戸で暮らしていたとき、阪神・淡路大震災が起こる。神戸では、ライフラインが途絶え、必要な物資が手に入らなくなり、多くの人がパニックに陥っていた。

「私自身、何もできずに、水道や電気、ガスが通るのを待って、お店に物資が届くのを待って、不安でいっぱいでした。社会のこともちゃんとわかっていなくて、自分の頭で考えて行動するということをしていなかった気がします」

 そんな折、ドキュメンタリーの仕事で、タイの山岳民族の村を訪れた。

「そこで私は、タイの人たちの、とても根源的でタフな暮らしぶりと出会いました。自分たちで食べ物を生産して、家畜を飼って、井戸の水を運ぶ生活。もしここで震災が起きたら、誰かの助けを待つのではなく、火をおこしたり、バラックを建てたり、何かを植えたり、まずは自分たちでできることから始めたでしょう」

 子どもたちは、夜、自家発電できる部屋に集まって勉強し、「将来はお医者さんになって自分の村を救う」「学校の先生になって、教育に携わりたい」と夢を語っていた。

「恥ずかしながら、それを聞いて、33歳にして初めて気づいたんです。『そうか。社会に役立てるため、生きていくために勉強は必要なんだ』って」

 もう一度自分の人生を生き直したい。もっと勉強したいと心から思った。

「日本に戻って、主人に自分の思いを伝えて、じっくり話し合いました。それで、一緒にいないほうが、お互いのためになるという結論に達して、離婚することになったんです」

 では何を学びたいのかを考えたとき、やはり11歳の、母を亡くしたときの記憶が蘇った。自分が困っているとき、近所の人や学校の友人、そのお母さんたちにどれだけ助けられたか。困っている人を助ける社会の仕組み、すなわち社会福祉について学びたいと思い、子どもを連れて上京した。大学入学資格検定を受け、子育てと勉強に専念したものの、大学に合格するまでには4年の歳月を要した。

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