2020年5月2日に歌手デビュー35年を迎えた渡辺美里。『My Revolution』『恋したっていいじゃない』『サマータイム ブルース』をはじめとした数々の大ヒット曲や、20年連続の西武球場ライブなど、日本の音楽シーンに輝かしい実績を残し、今も多くの人に支持されている特別なアーティストのひとりだ。
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35年を経てなおも旺盛な活動ができるのはなぜなのか。これほど長い間人々に愛されている理由は何なのか。渡辺美里の存在、音楽は、日本の音楽史にどのような影響を与えたのか。35年間の軌跡をおおまかに振り返りながら検討してみたい。
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■女性ソロアーティストの原型
渡辺美里が世間に「見つかった」のは1984年。当時高校3年生だった彼女が雑誌『週刊セブンティーン』のコンテストに参加し、最優秀歌唱賞を受賞した時だ。出版社とレコード会社が合同で開催した同コンテストは、モデルやアイドル、女優などを多数輩出する有名コンテストになったが(渡辺美里の同期には工藤静香、国生さゆり、渡辺満里奈などが、先輩には坂口良子や松田聖子などがいた)、渡辺美里の登場によって、それまでにはなかった「歌唱賞」が急遽設置されることになった。
このコンテストがきっかけとなってレコード会社から声がかかった。とはいえ、いきなりデビューが決まったわけではない。はじめは佐野元春のバックコーラスを探していたプロデューサーの目に留まったのだった。ところが、デモテープを撮ったりスタジオ見学をしたりしているうちにバックコーラスの話は自然消滅し、代わりにソロデビューの話がまとまっていったのだという。
現在に至るまで一貫して渡辺美里のマネージャーをつとめる株式会社ララマハロ代表の関野一美氏は、当時の渡辺美里についてこう語る。
「自分のやりたいことが明確で、こちらから聞かなくても、今後どんな音楽をやってどうなっていきたいかをよく話してくれました。とにかく話がすごく面白かったんです。変な話、このまま取材を受けても大丈夫だな、とさえ思いました」