各線とも環状線を持つものの、大江戸線以下は運転系統としては「循環運転」に近い。大江戸線は全長40.7キロのうち27.8キロの環状部分を持つが、山手線のように環状部分のみの周回運転は実施されていない。富山軌道線は1973年以降環状運転が途絶えていたが、富山市がまちづくりにあたり公共交通を生かす施策を打ち出し、2006年に富山ライトレールを開業、2009年に環状運転の復活へとつなげている。

■ルート探索も楽しい循環列車あれこれ

 ここで過去にタイムスリップして循環列車を見てみよう。残念ながら(?)このスタイルの定期列車はわが国では現在運行されていない(クルーズ列車等で設定されるケースがある)。そこで、国鉄時代の時刻表を何冊か手繰り、1965年4月ダイヤをもとにその実態を探ってみることにした。
 
 この時代に運行されていたのは別表のとおり。主要都市に位置する拠点駅を起終点に、複数の本線系統とその間を結ぶ連絡路線を巧みに生かしてルートを形成している例が目立つ。例外を挙げるとすれば、大半がローカル線となる「そとやま・五葉」(盛岡発着)と複数の本線またぎで周回する「しろがね・こがね」(名古屋発着)だろうか。

 いくつか列車を見てみよう。「いぶり」は倶知安(くっちゃん)~伊達紋別(だてもんべつ)を胆振(いぶり)線経由で結び、札幌発着の周回ルートとしていた列車だ。比較的長寿をまっとうしたが、胆振線廃止(1986年11月)を前にした1980年10月に姿を消した。拠点が大都市・札幌で、ルート上に小樽や東室蘭などの都市や登別などの観光地を擁していたため、利用者に恵まれていたに違いない。一方、旭川の拠点とする「旭川」は、石北本線と名寄本線、宗谷本線という本線筋を辿ってゆくものの、沿線のめぼしい街としては紋別が目立つ程度で、どのような利用状況だったのだろうか。列車は1962年5月から1968年10月という短命に終わったが、名寄本線も1889年5月に廃止されてしまった。

 房総の準急「外房」「内房」は、姿を変えながらも比較的後年まで現役にあった。外房線と内房線では1972年7月の電化を機に特急「わかしお」「さざなみ」が設定されたが、同時に急行「みさき」「なぎさ」が房総一周列車として登場、1975年3月まで運行されていた。面白いことに、勝浦~館山は普通列車としての運転で、私自身は「急行券なしで急行(165・163系)に乗れる!」と喜んでいたのを思い出す。

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循環走行距離が500キロメートルを超える列車が!