緊急事態宣言をはさんだ1カ月ほど、鴻巣の体調はすぐれなかった。当人は「コロナ・コンシャスです」とわかっていたが、買い物はリモートワーク中の夫に任せ、自宅から出ることはなかった。そんな不調でも2冊の訳書を出版、毎日小学生新聞に連載した小説版「ロミオとジュリエット」を完結させ、文芸誌に「コロナと文学」など評論や訳文を次々寄稿した。
それは彼女にとって特別な日常ではない。締め切りが迫れば1日14時間パソコンの前で格闘し、没頭すれば洗濯機を回したことなど忘れてしまう。救急車で運ばれたことが数回、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を訳し終えたあとには帯状疱疹が出た。なのに、「倒れそう」と呟きながらも新著の告知から政権批判までツイッターでの発信は絶えない。ワーカホリック、ハイパー、働き者、情熱家、文学おたく、厳しくてフェア。人が鴻巣を形容する言葉はいろいろあって、ドイツ文学者の松永美穂は「完璧主義者」と規定した。
ノーベル文学賞決定の日に鴻巣と共に受賞作解説のために新聞社で待機するのが、ここ数年の松永の行事だ。鴻巣は資料をいれた分厚いファイルを何冊も積み重ねて「誰が来ても大丈夫」といった態度で、また実際大丈夫なので心強いのだ。
「色の違う細かな付箋をびっしり貼った池澤夏樹さんの著作を池澤さんご自身に見せていらっしゃった姿も、印象に残っています。書評家としての努力の跡を隠さない。本当に勉強家です」
鴻巣には、欧米文学が日本に入ってきた明治時代にまで遡って翻訳を研究した著作もある。文芸誌に批評を書くときは20冊は読む。そうした姿勢は、翻訳家に言わせればひとえに翻訳、もっと言えば書くことへの情熱ゆえだ。
1963年、54歳の父と45歳の母の結婚25年目に誕生した第1子。育った東京・世田谷の家には祖母や30歳年上の義兄もいて、家族から熱烈歓迎された。ゼネコンで都市開発を手がける父はハイカラ好みで、酒の飲み方にも一家言あり、ルー大柴のように英語まじりで話した。日常着が着物の母は三味線や鼓を教える邦楽家で、PTAの会長も引き受ける活動専業主婦。娘は父から考え方を、母からは行動力を受け継ぐのだが、明治生まれの父と大正一桁生まれの母は友だちの親と並ぶと祖父母のようで、少し哀しかった。
「小さな頃から親との別れが早く来るんだと、強迫観念のようなものがありました。人間が死ぬとわかったときは怖くて夜中に目が醒めて、パパとママは息しているかなと確かめに行っていた」
(文/島崎今日子)
※記事の続きは「AERA 2020年7月13日号」でご覧いただけます。