担当記者らは秦野氏に「指揮権発動をするのではないか」と繰り返し質問。それが牽制となって指揮権発動ができなかったのかは定かではないが、秦野氏には、政治に対して強気の言動が目立つ伊藤氏が、田中氏に立ち向かう検察そのものと映っていたはずだ。判決を意識しながら、人事で検察に揺さぶりをかけたのは間違いなかろう。いずれにしろ、法務・検察はこのとき、政治の介入を押し返した。
根来氏や話に登場する3人はいずれも鬼籍に入り、裏付け取材は不可能だが、この覚書にある別の箇所――1992年の金丸信元自民党副総裁の五億円闇献金での罰金処理をめぐり、石原信雄官房副長官から法務事務次官だった根来氏に、「(金丸氏の腹心議員が)官邸から法務検察側に起訴猶予の線で押してもらえぬか、と言ってきたが、どうだろうか、という電話」があり、根来氏が「罰金は、決まったことだ、と回答した」とあるくだりについては、石原氏が筆者の取材に外形的事実を認めた。それゆえ、秦野氏にかかわる先の記述も一定の信憑性があると判断し、紹介した。
覚書の記述のうち、この金丸氏の刑事処分関連部分と、根来氏と吉永祐介元検事総長の検事総長ポストをめぐる確執の舞台裏については、雑誌「文藝春秋」2018年5月号に「検事総長人事暗闘史 『根来泰周メモ』公開」と題して寄稿した。
※「『政治と『検察』の力関係はいかに変化したのか…背景に護送船団崩壊と検察不祥事」へつづく