■発端は法務事務次官人事での無抵抗

 戦後制定された検察庁法は、個別の事件について捜査現場に対する法相の指揮権を認めず、検事の定年を明記するなど人事権の行使に一定の制約を加え、検察の独立に配慮したが、制度上、検察幹部の任免権は内閣(政治家)の専権事項となっている。政治家側は、その人事権や一般的な指揮・監督権を背景に、政界事件が起きると、捜査にあれこれ注文をつけたり、首脳の交代期には人事に口をはさもうとしたりしてきた。

 そうした中、政治腐敗を許さない国民の意を体した報道機関や野党は、それらの動きを厳しく監視し、法務省はそうした世論を背景に、法務・検察幹部の人事で波風が立たないよう周到な根回しをし、時の政権は概ね、法務・検察の人事については謙抑(けんよく)的な姿勢を貫いてきた。

 そもそも今回の「黒川騒動」は、2016年9月の法務事務次官人事が発端だった。法務・検察首脳らは当時、刑事局長だった林氏を三代先の検事総長にする方針を固め、稲田伸夫法務事務次官が同年夏、林氏をその登竜門でもある事務次官に起用する人事原案を官邸に示したところ、官邸はそれを拒否。林氏と検事任官同期(司法修習35期)で官房長の黒川氏の起用を求めた。官邸は重要法案の根回しなどで政権運営に貢献した黒川氏を高く評価していた。

 法務・検察は、稲田氏と官邸側との接渉で「1年後には林氏を次官にする」との感触が官邸から得られたとして、官邸の意向を受け入れ黒川氏を法務事務次官に起用した。しかし、官邸は林氏を次官にしないまま2018年1月、検察序列ナンバー4の名古屋高検検事長に転出させ、黒川氏を翌19年1月、検察ナンバー2の東京高検検事長に起用した。

 それでも法務・検察の大勢は、林検事総長を期待していたが、官邸は黒川氏の検事総長起用を強く希望。その意を受けた法務省は、2019年暮れから検事総長の稲田氏に2020年2月7日の黒川氏の定年までに総長を禅譲するよう求めたが、稲田氏が拒んだため、黒川氏の半年間の定年延長という奇策をとり、騒ぎになった。

 法務・検察の人事に通じた元検察首脳は「2016年の事務次官人事で、体を張って抵抗しなかったのがすべて。それが、こんな無様な結果を招いた」と嘆いた。

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伊藤検事総長への人事介入を押し返す