「No Lie-Sense」の新作「駄々録~Dadalogue」は、まさにそんな2人ならではの「温故知新」「有情滑稽」のスタンスが見事にクロスし、結実した大傑作だ。

 楽曲は2人がそれぞれ書いた曲がメイン。自虐的なタイトルと歌詞がブラック・ジョークの風合いを醸し出す「ah-老衰mambo」(鈴木慶一作詞作曲)、演劇調のリリックが講談のようにも感じられる「偽駄々師、咆哮(ほうこう)」(KERA作詞作曲)など両者の持ち味が生かされた曲が並ぶ。しかも、日本古来の伝統芸能と海外の民族音楽とが、シャープな音質の録音で仕上げられていて、まるで1950~60年代に流行した和製ポップスの感覚を再現しているような“越境”具合なのがいい。

 収録された2曲のカバーがまた象徴的だ。三木鶏郎の「チョンボ・マンボ」と、浅川マキで知られる「ケンタウロスの子守唄」(筒井康隆作詞、山下洋輔作曲)。どちらの曲も、誕生した時代もその背景も違うが、いずれも日本の大衆音楽・文化の一端を彩ってきた重要な曲。それをただリスペクトを込めてカバーしているのではなく、ちょっとクスッと笑いながらも真摯(しんし)に今の時代にそれを鳴らし、新しい息吹を吹き込もうとする一面が感じられる。

 そう、ここには時代やジャンルや国境さえも越えて、市井の文化としての音楽を芸能という文脈で捉えようとする2人の意識の高さがあるのだ。いわば、シェークスピアからモンティ・パイソン、エノケン、小沢昭一までを視野に入れたような。浅草あたりの演芸場にいるような気分になるほど、ここにはちょっと懐かしい風合いの哀感とユーモアがたっぷりある。が、あくまで2020年の東京からその“越境”を伝えようとしているのではないか。そういう意味では、7曲がメドレーのように組曲形式に連なった、でも音作りやアレンジ・演奏はパンクやニュー・ウェイヴ時代を通過した世代らしいエッジーさのある「~鳥巣田辛男ショウ~」が圧巻だ。

 音楽史、芸能史、文化史はきっとこうして更新されていく。そんな手応えを感じさせる作品が、コロナ禍の20年にこうして発表されたことは、きっと長いスパンで見た時にすごく意味をもって響くに違いない。(文/岡村詩野)

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