彼らがスクリーンの中の世界と外の現実世界を行き来する一方、スクリーンの世界のキャラクターもまた、現実世界へ飛び出す。そこに境界線はない。

 自由なのだ。

「映画とはこういうものだ、という既成概念にとらわれている人たちは、『こんなの映画ではない』と言うかもしれません。でも、『映画とは』なんて誰が決めたんですかという話。大林監督は多分それが言いたかったんじゃないかと。平和に置き換えて考えても同じだと思います。こうだと決めつけがあるから戦争が起きる。日本人だ、アメリカ人だと分けるから違いが出てくる。だけど、線をなくせば平和になるに決まっている。監督がよく言っていた『線をなくす』ということはそういうことだと思うんです」(常盤さん)

 もっとも本作のプロデューサーである奥山和由さんは、「初めて脚本を読んだ時は脚本になっていなかったというのが正直なところだった」と打ち明ける。

「ただ大林さんはわからない本を書いた時に傑作を作る(笑)。『HOUSE/ハウス』は脚本があまりにわからなくて映画にしてもらったら傑作だったと聞きました。『海辺の映画館』も、映画というものを信じていた大林さんにしか作れない映画。劇場でヒットしなくても、必ず独り歩きして、少しずつ人に伝わっていくと思う」

「海辺の映画館」のエンディングはあえて終わりをうたっていない。映画は観る者に完成させてほしいという大林監督の願いがあるのだろう。常盤さんも「大林監督の映画のおもしろいところは、できあがったものが完成ではなく、5年後、10年後に見ると、また印象が変わってくるところ」と指摘する。

「最初に映画の構想のようなお話を伺った時と脚本を読ませていただいた時と撮影した時、そしてできあがった映画は全部印象が違うんです。以前見た映画を見ても、『こういうことを言ってたんだ!』と気づくことがよくあります。もちろん他の映画でもあるとは思いますが、大林監督の映画にはすごくいろんなものがちりばめられているので、時を経てこそ気づくことがあるんです」

 映画は誰にとっても自分ごとになる──。本作が伝える通り、未来の平和を一人ひとりが信じたらハッピーエンドが遠い未来に実現するかもしれない。奥山プロデューサーは言う。

「大林さんは生きていることはこんなに美しい、こんなに楽しいという思いを、思いつきごとに全部映像化していってしまった。作品が持つ生命力の強さのようなものは、映画を信じ、自分の映画とのかかわりを信じてきた彼だからこそ。今、そういう映画はないのではないでしょうか」

(ライター・坂口さゆり)

週刊朝日  2020年8月7日号