1カ月ほどさかのぼった3月1日正午過ぎ。高校の卒業式を終えた理事長室で、渡邉氏は石田氏に向かってこう厳命を下していた。
「(午後の)謝恩会なんか出なくたっていいから、何がなんでも『示談書』を取ってくるんだ!」
7年にわたって渡邉氏に仕えてきた石田氏は、そう言われて学校を出た後、戻ることはなかった。夜になってから、渡邉氏の携帯電話に一通のメールが入った。
〈今日で辞めます。引き継ぎは済んでいます。お世話になりました〉
詳しい理由は記されていなかった。学校の机の中に辞表をしたためてあったのが、次の日に見つかったという。
石田氏はなぜ、突然に辞めたのか。取材を進めると、渡邉氏への「興醒め」と「不信」が石田氏の胸中に蓄積されていった過程が浮かび上がった--。
その詳しい内容に触れる前に、まずは渡邉氏と学園とのなれ初めを説明しておこう。
東京大学の至近に位置する旧名「郁文館」は、1889年に創立された伝統校だ。校庭の隣に住んでいた夏目漱石が小説『吾輩は猫である』で描いた学校「落雲館」のモデルだと言われている。卒業生には民俗学者の柳田国男、国語学者の物集高量らがいる。
ところが近年、創業一族がホテル建設などで失敗し、膨大な債務を抱え込み、破綻寸前に追い込まれた。そこへ現れた"救世主"が、ワタミ会長の渡邉氏だ。小説家、高杉良氏の小説『青年社長』のモデルになった御仁である。
「ワタミ」は言わずと知れた居酒屋チェーンだ。全国で600以上の店舗を展開し、介護事業や農場経営にも手を広げてきた。最近はNPO法人を通じてカンボジアでの学校建設にも取り組んでいる。
中高一貫の郁文館に渡邉氏が私財を投じ、「改革」に乗り出したのは2003年春のこと。自ら理事長に就任し、学校名に「夢」を加え、今春には伝統ある校歌も自作の詩に変えた。
学校の「経営」で話題になるとともに、公職にも就き始めた。安倍政権時の06年には政府の「教育再生会議」委員に任命され、教育改革について熱い議論を繰り広げた。06年秋から昨秋まで神奈川県の教育委員も務めた。
同時に、教育論を語れる経営者としてマスコミへの露出が増えたのは周知のとおり。現在も情報番組「スッキリ!!」(日本テレビ系列)などでコメンテーターとして活躍する傍ら、04年から日本経団連の理事も務めている。
持論は「教育現場に競争原理を持ち込む」ことで、理事長として乗り込んできた際、中学校の新入生に「この中から東大に20人以上出す」と宣言したことは語りぐさになっている。
もっとも、この過程で「人が変わった」との評も出ている。郁文館の元教員が、こう語る。
「彼は儲からない居酒屋1店舗を手に入れ、店員を育て、全国展開させた。それもある意味で『教育』の一つだった。初めは教育というものに素直に喜びを感じていたと思う。ただ、途中から自分が目立つことが何より大事になっていた。テレビ制作会社のカメラマンを常駐させ、自分の挨拶だろうが教室見学だろうが、常に撮らせて歩いていたのを覚えています。『将来、自分を取り上げるテレビ特集のために撮りためてる』とのことで、そのカメラマンは、いつの間にか学校の理事になってました」
◆「性の道具か」と女性は激高した◆
渡邉氏は、ひそかに政界進出の意欲も旺盛なようだ。複数の知人が、渡邉氏から出馬について相談されたと証言しているが、その一人はこう解説する。
「彼は『学校改革で成功して文部科学大臣になって、そのあと総理大臣にもなりたい』と本気で語っていた。つまり、学校は政界進出の手段なんですよ。一時期は『自民も民主も公認してくれないから、自分はカネもあるし政党を作りたい』とも息巻いてましたからね。最近は、来春予定の東京都知事選に興味を示し、常務理事の石田氏にも相談していたそうだよ」
その石田氏は、もともと横浜市で学習塾を営んでいた。大学院でMBA(経営学修士)を取得する際、「渡邉美樹」を論文のテーマに取り上げ、本人にインタビューする機会を得た。そこで意気投合した渡邉氏が、石田氏を学校に招き、重用したという。
だが、7年に及ぶ"師弟関係"は電撃辞任によって決裂した--。
本誌は、その理由について重大な証言を入手した。石田氏から直接、事情を聴いたという学校関係者がこう語るのだ。
「実は昨秋から、石田さんは学内のある女性から悩みを打ち明けられていたのです。渡邉理事長と数年にわたって交際してきたのに、『君の中には自分が求めるものがなかった』と、たった一通のメールでフラれたという話でした。自分は単なる"性の道具"だったのかと、彼女は激高していたそうですよ。学校と取引のあったK氏という人物も、同じ女性の相談に乗っていた。それでK氏が義憤を感じ、石田さんに『教育現場にあるまじき行為だ。常務理事として正すべきでは』と進言していたのです」
ここに出てくるK氏は、もともとカナダで木材などの買い付けを長く生業としていた。数年前に石田氏と知り合って人柄を買われ、3年前から郁文館のカナダでのサバイバルキャンプを手伝い始めた。いわば現地コーディネーターであり、学校からすれば取引業者の一人である。
当のK氏も取材に応じ、その後の経過を説明した。
「確かに、その女性からの相談はありました。もともと石田さんに紹介され、数年前からプライベートの悩みを聞くようになっていました。特に昨年12月中旬には、彼女は精神的にもかなり追いつめられていて、私から渡邉さんにケジメをつけるよう働きかけてほしいと頼まれたのです。そこで、私は渡邉さんに『このままじゃあタイガー・ウッズになっちゃうよ』とメールを入れました。ちょうどタイガーの不倫騒動のころだったのでね。彼女からのメールも転送したら、本人から電話がかかってきて、大晦日に会う約束をしました。でも、結局、その前に彼女と二人で話し合ったようで、その話は一度、そこで終わったのです」
言うまでもなく、渡邉氏には起業時代に結婚した元ウエートレスの妻と、2人の息子がいる。
渡邉氏は本誌のインタビューに応じて、こうした「不倫」の事実を否定している(別掲記事参照)。学校と女性も「不倫」や、石田氏とK氏への「相談」が事実無根だとしている。
これに対してK氏は、自身の携帯電話の受信トレイを開いてみせながら、渡邉氏や女性から届いたという一連のメールを示した。
そこには、昨秋以降に女性から届いたとされるメールが、現在も残っているだけで44通、渡邉氏から届いたとされるメールも7通、保存されていた。
女性から届いたとされるメールからは、K氏の言うように一連の流れがみてとれる。その中には、こんな文言が並んでいる。
〈言いたいことはあの人に全部いってやりました やっぱり私にはお手上げです(略)K(原文は本名)さんしか頼れる人がいないです。あの人が滅びるも、救われるも、Kさんに全てお任せします〉(12月17日)
〈昨日の電話では、私がこの事でKさんと結託して対外的に私が口を開いたりしないかとても気にしていました。月曜日学校に行くときに念書を書いて置くようにいわれています。内容は『渡邉が一千五百万円を支払うことを条件に次のことを約束することを誓う。一、今までの2人の関わりについて一切他言しない。メールも全て削除する。二、互いのプライベートは一切関係ない、三、そのことを踏まえた上で仲良く仕事をする』(略)私(注・渡邉氏)には、会計士が管理しているから大金は引き出せないと、懇願するようにこの金額を提示し、しかも月々30万だか50万だか分割でお願いしたいと言ってきました〉(12月18日)
〈人間ですから、思いがけず、人を傷つけてしまうことがあるでしょう 心からごめんなさいの言葉が聞きたかった 昨日はやっとそれが聞けました 何を言っても心の通ったごめんなさいが聞けず、Kさんにお願いしましたが、昨日は心からのごめんなさいがありました それで救われました 何故Kさんに助けを求めたか、私がどれだけ恐怖を感じたか全て話しました。それを理解し心から反省し今後も一緒に仕事をしていく上で償い続けるという言葉に心を感じとれました。Kさんのお陰です 彼のことは許すことにしました。本当にありがとうございました〉(12月22日)
◆「けじめ」の後に暴力事件が発生◆
渡邉氏からK氏に届いたとされる同日付のメールには、こう綴られていた。
〈昨日すべて解決しました けじめをつけさせていただきました ご心配をおかけしました この件でお時間をとっていただかなくてよくなりました31日は伺いません 今後も夢教育へのご支援をよろしくお願いします〉
メールに書かれたことが事実だとすれば、二人はかなりの"抜き差しならない"関係に見える。しかし、この事実だけで石田氏が辞任したわけでは、もちろんない。石田氏から話を聞いたという前出の学校関係者が、こう続ける。
「女性はずっと渡邉さんへの不満を語っていたのが、ピタッと止まり、徐々に石田さんらと疎遠になった。渡邉さんを許したということのようです。ところが、これがお互いの疑心暗鬼の始まりだった。Kさんは改めて、渡邉さんと3月初めに会う約束をしたのですが、2月12日に酒席で学校の男性理事を殴る"事件"が起きたのです。Kさんは『ゲームで軽く殴っただけ』と主張し、被害者の理事は『因縁をつけられてボコボコにされた』と訴えた。そこからさまざまな人間関係が壊れていったようです」
殴られた理事は警察に被害届を出し、渡邉氏ら学校側はカナダのサバイバルキャンプに関するK氏との契約を打ち切ろうと動いた。2月下旬、渡邉氏らが弁護士を交えてK氏と面談し、「示談書」にサインするよう求めたのだ。
そこには、被害届を取り下げる代わりに契約を打ち切り、校内で知り得たことを口外せず、学校関係者との接触を一切禁じるという条項が設けられていた。K氏は、女性との関係の口止めが真の目的だと考え、サインを拒んだという。
その渡邉氏とK氏の間に挟まれていたのが、常務理事の石田氏だ。このときの示談書が、冒頭の場面で、渡邉氏が石田氏に謝恩会を休ませてでも取ってこさせようとしたものである。
石田氏は周囲の友人に、こう語っているという。
「女性問題について、都知事選に出ようという人がこんな対応ではマズイと忠告したこともある。学校を守るためにコトの収束を図ろうと努力したが、理事長の個人的なトラブルに周囲が巻き込まれ、学校全体の問題にまで発展してるのに、なおも保身を優先して部下の責任にすり替えようとした。もうついていけない」
確かに、これが事実であれば、教育者としてあるまじき行為である。そこで本誌が石田氏を直撃すると、こう語った。
「(女性から理事長との関係について)いろいろ相談を受けたのは事実ですが、詳しい中身は言えません。ただし、『星が消せる』なんて思ったことも、言ったこともありません」
一方、当の女性に電話をかけると、落ち着いた声でこう答えた。
「(石田氏への相談は)ぜんぜん何のことだかわかりません。どうして彼が辞められたか、私のほうが聞きたいくらいです。(理事長との不倫は)誰かほかの方と勘違いしてるのか、あるいは、あの方においてはそういうことは決してあり得ないと思いますけれども」
後日、代理人弁護士を通じてメールを見せたところ、改めて、
「これは自分が送ったものではない。なぜ存在するのかわからない」
とコメントした。
◆「K氏に学校を乗っ取られる」◆
学校側に取材を申し込むと、ワタミ社長室長(執行役員)で、今春、郁文館夢学園の理事にも就任した中川直洋氏が、こう説明するのだった。
「Kさんは暴力事件の際、学校の理事に『お前の弱みを握ってる』『渡邉は俺の言うことを聞く』『お前も俺の言うことを聞け』と因縁をつけた。学校は理事の権限が大きいから、僕らはK氏に乗っ取られると考えた。業者としてもふさわしくないから契約解除したのです。石田さんが辞めた理由は、Kさんとの示談を成立させられず、責任を感じたからでしょう。渡邉と女性に確認したが、交際の事実も、女性が相談したという事実もあり得ない。別れ話もないし、相談のメールを送ったこともない。渡邉は政治で世の中が変わらないと思ってるから、政界進出も考えていないでしょう」
渡邉氏は常々、会社や学校で「ウソをつかず、誠実であれ」と教えていることをアピールしてきた。当然、社員や生徒ばかりにウソを禁じてきたわけではない。過去のインタビューでは、こうも述べている。
〈社員は、社長はじめ経営陣の言動をよく観察しています。言っていることとやっていることが違えば、ついて来てくれません。その意味で、社長は、365日、24時間、試されているのだと思います。だから、口だけとか、小手先では通用しない。ウソをつかない生き方が、社長本人がそうしたいと思う生き方でなければ、社員に見破られるでしょう〉(日経ベンチャー07年12月号)
もう一度、渡邉氏の言い分を載せた囲み記事をよく読んでいただきたい。実は渡邉氏らの説明は、「不倫」や、K氏らへの「相談」の事実の有無を除けば、大筋でK氏らの証言と一致する。
渡邉氏は一連のメールが、すべて「偽造」されたものだと言い切った。その言い分は果たして通用するのか。一連のメールの信憑性を専門家も交えて徹底的に検証し、次週号で詳しくリポートしよう。 =以下次の記事へ=
週刊朝日