奈良県北葛城郡上牧町に本社があるヴァレイは、自社内に縫製工場を持たず、その代わり北は宮城から南は鹿児島まで、約200人の熟練の技術を持つ縫製職人と契約している。普段は高級ブランドの洋服を小ロットで請け負っているが、「マイホームアトリエ」と名付けたその独自ネットワークと、奈良県の他に5カ所ある契約縫製工場がフル稼働すれば、1日4千着の医療用ガウンを作れる。ヴァレイ本社は司令塔としてパターンの作図からスケジュール管理、不織布や資材の手配を行う。ガウンの紐の取り付けや、検品発送作業などはヴァレイの技術指導を受けてANAのスタッフが担当することになった。
「ガウンの品質を担保するには、縫製のプロである僕たちがANAさんの上に入る必要がありました。乗務員や整備士の方々もコロナでフライトの多くが無くなり、貢献できることを探していたそうで、零細企業の僕たちを快く受け入れてくれた。普段から命を預かる仕事をされているだけあって、熱意や正確さには頭が下がりました」
ヴァレイでは政府からの発注分に加え、洗濯しても撥水効果が持続するオリジナル医療用ガウン5万着の生産も決めた。ガウンはコロナ流行当初、4500万着が不足していたが、9月現在、ヴァレイや多くの国内メーカーが生産に協力したことにより、状況は大きく改善されている。
「今回の新型コロナで先進国とは何か、考えさせられました。医療用ガウンのような生きるために必須のものが、必要なときに手に入らない。それって本当に先進国なのか?と思ったんです」
谷が身を置くアパレル業界は、この30年で大きく産業構造が変化した。ファストファッションの流行により洋服の価格は下落し、各メーカーはコストの安い中国やベトナムで生産を行うのが普通となった。国内の縫製工場は30年で5分の1にまで減っている。経済合理性を追求した結果、世界的なパンデミックという緊急事態でそのことがあだになった。谷は「生きるための物資」の作り手を育てることが、今この国で最も必要なことだと考えている。
「昔はどこの家庭にもミシンがあり、母親が雑巾を縫って子どもに持たせるのが普通でした。でも今は百均に売っている雑巾を買うのが当たり前です。コロナが終息してもこのままでは、同じことが繰り返される。僕たちの会社の理念は『日本の縫製業を次世代につなぐ』こと。アパレル産業を超えて『作ること』の面白さと価値を、次世代の子どもたちに伝えていきたいんです」
(文・大越 裕)
※記事の続きは「AERA 2020年9月21日号」でご覧いただけます。