それが高校を卒業し、俳優業に専念し始めたあたりから、家族についての発言が増え始める。21歳のときには、はっきりと「親孝行をしたい」と語っていた。
「(親に対しては)ふとした時に荷物を持ってあげるとか、掃除機をかけてあげるとか、そういうことはやるようにしています」(non・no 2011年8月号/21歳)
「やっぱり、離れて住むようになったことで、分かったことはたくさんあります。家族のためにも仕事を頑張れたらいいなと思うようにもなったし、(中略) ちょっとしたことでも親はすごく思ってくれてるんだなって感慨深い気持ちになります」(同)
21歳の誕生日を迎える前月、東日本大震災が起きたことも大きかったようだ。
さらに三浦さんが家族に対する思いを強くしたのが、2013年12月公開の映画『永遠の0』への出演。三浦さんは特攻隊だった祖父のことを調べる青年役だった。この映画への出演を機に、三浦さんは母親に話をきいたところ、自身の祖父が特攻隊要員だったことが明らかになった。
「家族のことをこんなに深く掘り下げて考えたのは初めてだし、自分のルーツを知ったことで僕も強くなれた気がする。この作品に出会わなかったら味わうことのなかった感情や、思い至らない考えがたくさん浮かんで、それは大きな経験だったんです」(With 2014年1月号/23歳)
このとき、三浦さんは23歳。キャリアをスタートさせたのが早かったとはいえ、言葉の選び方や考え方は同世代とくらべて成熟した印象だ。
また、今回、三浦さんの死を受けて、家族、特に母親との関係についてさまざまな報道があったが、三浦さんの口から直接語られたのは家族に感謝する素直な気持ちと、家族と過ごす時間の温かいエピソードだった。
「この家族の元に生まれてきてよかったと思える心。なにかを成し遂げた時に喜びを人と共有できる高揚感。そういう瞬間のために生きている」(2014年2月22日付朝日新聞朝刊/23歳)
「たまにね、地元の茨城から両親が来てくれるんです。ごはんを作ってくれたり洗濯してくれたり。お父さんはいつもお母さんをからかって、そのやりとりを見ていても楽しいし、便乗して参加しても楽しいんですよ(笑)。そうして家族3人の時間を過ごして、『じゃあね』って2人が帰るそのときに、『ありがたいなぁ』って思う感じ…つながってるなって。これがね、言葉にならない幸せなとき。いい時間なんです」(25ans 2014年3月号/23歳)
そして、近年は、自分がいつか家族を持つことについてもさりげなく触れている。
「もしかして、自分の子どもが生まれた時に、その子が成長していく過程で何か導けるような、その子を傷つけないようなことを言えたらいいなと思うんです」(婦人公論 2015年5月12日号/25歳)
「もしかして30代になったら、家族が増えたりすることもあるかもしれないじゃないですか。だから20代のうちにいっぱい悩んで、いっぱい立ち止まって、いっぱい失敗できたことは悪くなかったなって思うんです」(MORE 2019年10月号/29歳)
過去に恋愛や結婚についてたずねられたとき、結婚をしたら子どもがほしいと答えていた三浦さん。それは本心なのだろう。