●いつしか「大師」は空海を指す言葉に

 帰国して比叡山に延暦寺を開いた最澄と高野山に伽藍を建立した空海の関係は、入唐する前の立場とずいぶん変化していった。最澄は空海に教えを請い、弟子を空海の元へ勉強に向かわせている。最澄の弟子のひとりは空海に心酔し、そのまま最澄の元へ戻らなかった。それほどまでに空海が唐で学んだ仏教の教えは、人々の心をつかんだのである。唐でも空海の能力の高さは評価され、高名な僧から自分の継承者としての地位を与えられてもいた。「大師」とは、本来、高僧を指す言葉であるが、日本各地で「大師さま」と言えば弘法大師を意味する言葉となった。これほど有名な僧は他には見当たらない。

●5千以上の伝説を持つ高僧

 たぶん、このせいでもあるのだろう。日本各地には「弘法大師が◯◯したもの」という建立物、書画、彫刻物、湧き水、温泉などを絡めた伝説が5千以上あるという。「弘法も筆の誤り」「弘法筆を択ばず」といったことわざを持つ書家としても高い評価を持つことから、特に書き物に関しての伝承は多いが、次いで目につくのは水に関するものである。

 水に困っている人々のために水源を掘り当てる空海伝説は各地に残る。「加持水」(かじみず)とは、本来、「祈祷した水」を指すものだが、空海が独鈷によって水を湧き出させた井戸や取水口は「加持水」や「独鈷水」と呼ばれている。また、空海は水を掘り当てるだけでなく、各地の有名温泉の源泉にも関与しているのだ。伊豆最古の温泉として知られる「修善寺温泉」は、長患いの父に孝行する少年のために温泉を湧出させたのが始まりという。この源泉は「独鈷の湯」という名で、今も修善寺川の川の中に保存されている。

●空海が残した恩恵

 高野山のすぐ近く「龍神温泉」は、日本三美人の湯として名高い良泉だが、難陀竜王のお告げにより空海が開湯した伝説が残るし、茨城県にはそのままの名「弘法大師温泉」が存在する。しかしながら、空海によって最も恩恵を受けたのは四国だろう。四国にとっての一番の観光の目玉「遍路」は、“弘法大師修行の遺跡である四国八十八か所の霊場を巡り歩くこと”であり、空海の生まれ故郷が讃岐国(現在の香川県)であったことから、ゆかりのお寺を参拝する旅を意味する。すでに室町時代ころには制定され、江戸時代には市井の人たちも巡礼するようになっていた。これがやがて、江戸や大阪などの都市圏に「写し」(その地域のお寺88ヶ寺をなぞらえる)を制定し、地域ごとの遍路が作り上げられていくのである。こうして眺めてみると、空海は高僧であるが、日本にとっては大いなる観光大使である。

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