高野山に行かれたことのある方はご存じかと思うが、まったく人家のない山道をかなり上って行った先に、突然よく整備された大きな集落が現れ、この町全体がお寺の活動によって動いていることを知り驚かされる。もちろん、お寺といっても1寺を指しているわけではない。1000メートル級の山々に囲まれたこの土地全体が、弘法大師(空海)が開いた真言仏教の総本山・金剛峰寺の境内となり、ここには現在も子院117ヶ寺が存在しているのである。
●天空に並ぶ伽藍堂群と歴史ある墓碑
このようなまさに孤立したように見える場所にありながら、アクセスはかなりよい。大阪の中心地から電車1本で高野山ケーブルの駅まで行ける。中心伽藍までのバス乗車時間を含めても難波駅から2時間程度、関空からでも2時間30分くらいしかかからない。道路の整備も行き届いているので、車での移動も簡単で、広い高野山の町中の各地域に駐車場も確保され、山内に入ってしまえば、歩きに苦労する場所も少ない。山内には宿泊できるお寺(宿坊)も52ヶ寺あり、1日だけでは到底見学しきれない参拝者を迎えてくれる。高い山の中にある寺社を参拝するイメージを感じさせないお寺として、これほどまでに整備されてきたのは、「弘法大師の足元に眠れば極楽住生できる」という信仰のもと、全国各地の武将をはじめ一般人など20万基を超す墓碑や供養塔が建てられるほどの人気が背景にある。
とはいっても、2004年に世界遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成する高野山だけに、ここまでの参詣道と併せて評価されてのことであるのだから、ラクチンなルートばかりを紹介するのは一面的すぎるきらいはあるのだが。
●命からがらの遣唐使の随員として
真言宗の開祖・空海は、日本での修行では知識が得られないと、遣唐使の一員として入唐した。この時、一行の船は4隻、空海の乗った第1船、天台宗の開祖・最澄が乗船した第2船のみが難破から逃れ、かろうじて海を渡ったと伝わっている。7歳ほど年上の最澄はすでに著名人、空海は無名の僧だった。
20年で修学する予定の留学を2年で終え、空海は帰国。帰国前の唐の浜で、帰国後に自分が伽藍を建立する場所を知らせてほしいと念じて空に独鈷(とっこ。仏具のひとつ)を放ったところ、高野山の現在の壇上伽藍の立つ場所に落ちたのだとか。この投げた独鈷を探し高野山にたどり着くまでの旅の話は長いので割愛するが、空海の不思議な力は、独鈷に関わることが多い。