慰安婦記事検証と吉田調書問題を報じる朝日新聞紙面 (c)朝日新聞社
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 朝日新聞編集委員・北野隆一氏が6年間の取材記録をもとに、朝日新聞の慰安婦報道と、これに対して右派3グループが朝日新聞社を相手に起こした集団訴訟の経過を記した『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日選書)。裁判は2018年2月、すべて原告側の敗訴が確定した。

 慰安婦報道でたびたび問題になるのが、強制性の有無だ。慰安婦の強制連行はあったのか、なかったのか――。元慰安婦の女性らの証言内容について、公文書やさまざまな資料で裏付ける取材を重ねてきた北野氏が、「強制」をめぐる議論について寄稿した。

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 慰安婦の強制連行はあったのか、なかったのか。

 慰安婦問題が報道される際に、この「問い」は常につきまとってきた。朝日新聞の過去の報道を検証し、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言(吉田証言)を伝えた記事を「虚偽」と判断して取り消した2014年の特集記事の取材班に参加した筆者にとっても、強制連行をめぐる論争は壁のように、大きく立ちはだかっていた。

 まず、「強制」という言葉をだれの視点で見るかという問題がある。元慰安婦の女性から見れば、自分の意思に反して慰安所に連れて行かれ、日本兵の性の相手に従事させられたという意味になる。出発点は女性自身の体験と証言だ。一方で、旧日本軍や政府から見ると、「強制」とは軍人や官憲が命令を出して従わせるという意味となる。法的な命令を出したか、物理的な強制力の行使があったかどうかを示す公的文書での証拠があるかどうかが、議論の出発点となる。

「強制の証拠がない」と言われて憤った女性が「私が証拠だ」と語った――という逸話からは、慰安婦問題をめぐる視点の決定的なずれを思い起こさせる。取材していて議論としてかみ合わない言葉の応酬に出あうたび、そのことを何度も痛感させられてきた。

「強制連行」をめぐって政府は、第1次安倍政権時の2007年3月16日に閣議決定した答弁書の立場を現在まで維持している。辻元清美衆院議員の質問主意書に対し「同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と答えたものだ。

 注目されるのは、強制連行について「なかった」と言い切るのではなく、「直接示すような記述も見当たらなかった」という持って回った表現を使っていることだ。2018年3月28日に杉田水脈衆院議員が衆院外務委員会で「もう強制連行はなかったという形で、これが政府の正式見解でよろしいですよね」と質問した際も、鯰博行・外務省大臣官房参事官は答弁書の表現を繰り返し、あくまで「記述が見当たらなかった」とする立場を維持した。

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河野談話を発表した河野氏は…