TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は「ピエール・カルダン」について。
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“SONY”が日本の会社だと知ってアメリカ人が驚いたという話をかつて聞いたことがある。グローバリゼーションが進む前の話だ。それだけアメリカの日常になくてはならないものとして浸透していたからだろう。
僕は逆に“ピエール・カルダン”というブランドを日本のものだと思っていた。英語教師だった母がそのワンピースを日常的に着ていたし、家にあるスリッパやコーヒーカップ、タオルにも“ピエール・カルダン”のロゴがついていたからだ。通っていたピアノの先生の自宅のカーテンも、母とよく行った日本橋三越でも売られていた。中学に入ってビートルズを知り、彼らの襟なしスーツ(ラウンド・ネック・スーツ)の写真を観て、所属していた中学生管弦楽団でフルートを吹いていた女の子が、「これ、カルダンね」と呟いた。「え?」と言うと、「知らないの? あんなにビートルズ、ビートルズって騒いでいるくせに」と軽蔑された(ちなみに僕はトロンボーンを吹いていて、その秋、上野の東京文化会館で開かれたコンクールに出場した)。
ピエール・カルダンが今年設立70周年を迎えた。98歳になる彼は健在でいまなお第一線で活躍。その人生を追った映画が「ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン」だ(10月2日公開)。
「私の目標は一般の人の服を作ることだ」と彼が言う。そして世界110カ国でライセンスビジネスを展開している。道理で。小学校時代に日本のブランドだと思ったのはそこにあった。あまりにも身近で、空気のような存在。でも、それはクリエイターとして嬉しいことなのだろうか。
この映画をプロデュース、監督したP・デビッド・エバーソールとトッド・ヒューズにオンラインで話を聞いた。カリフォルニア・パームスプリングスに住む彼らは家具を選んでいるうちにカルダンの虜になり、カルダンミュージアムまで出かけて行って彼に会い、いかに尊敬しているか、フェイスブックに載せる写真を一緒に撮らせてくれないかと訊くと、だったらどうして僕のドキュメンタリーを撮らないんだいと提案されたという。