作家・北原みのり氏の連載「おんなの話はありがたい」。今回は、性行為の「同意」の考え方について。日本社会においては、それを学ぶ機会がほとんどないのだと指摘する。
【抗議の声】杉田水脈議員の「問題発言」にいち早く反応したのは……
* * *
性行為中に女性の合意なく避妊具を外す行為を「ステルシング」という。先日、フランスの男性外交官が、ステルシングの告発を受けて、警察が捜査をしているというニュースがあった。報道によれば、この二人は出会い系サイトで知り合い、この日は数度目のデートで性交は初めてのことだったとか。
もし日本だったら……。出会い系サイトで出会った男女がラブホテルでセックスし、その途中で男性がコンドームをこっそり外したことに気がついた女性は警察に行けるだろうか? 「勝手にコンドーム外されたんです!」と訴える女性に、警察官はまずこう言うはずだ。「男性とはどういう関係だったんですか?」「どこで出会ったんですか?」「え? 出会い系で? よく知らない男とセックスするあなたにも責任あるんじゃないですか?」「今日で、その人とは何回セックスしたの?」「あなたは処女ですか?」「コンドーム外した証拠はどこにあるんですか?」
暴行・脅迫を伴った性交や抗拒不能な状態での性交を訴えれば、そんな質問をしながらも警察は動くかもしれない。でも、性交中にコンドームを外された……という女性の声には? 性暴力事件が起きたときですら、問われるのはいつも女性の経験値や、女性の行動、女性の考え方の日本社会で。
「同意」という考え方を、子ども時代に、もちろん大人になってからも学ぶ機会は私たちにはほとんどないのだと思う。特に性に関しては「同意」の手間を省くほうがスリリング、というような文化もある。例えば子ども時代のスカートめくりも、女の子としてはあれほどキモイ記憶はないが、男の子にしてみれば少年時代の明るい思い出くらいの軽さだろう。しかも女の子側も男の子の軽さにあわせて笑うことが求められたりもする。大人たちも、女の子の傷には無関心だ。男の子がスカートの中に関心を持つのは当たり前のこと、むしろ健全なことくらいの緩さで。