政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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日本学術会議が推薦した6人の会員候補が菅義偉首相から任命拒否されました。説明がなされないままのため、学術関係者のみならず、世論からも強い反発が起きています。拒否されたのは、宗教学、政治思想史、行政法学、憲法学、日本近代史、刑事法学と、いずれも人文・社会科学系の憲法や政治、歴史や価値に関わるような領域を研究している学者です。拒否した理由を明らかにしないのは、憲法23条の「学問の自由」に対する侵犯と言わざるを得ませんし、政府の干渉的な裁量権の行使は、戦前の日本の大きな転換点となった天皇機関説事件の文脈で受け取られても仕方がないかもしれません。政府は任命から外した根拠の説明を一刻もはやく行うべきです。
次に問題となるのは、「学問の自由」とはどういうことであり、どんな環境が日本の学問研究や科学の発展に有益なのかという点です。日本学術会議は2017年に「軍事的安全保障研究に関する声明」を出しています。これは「戦争を目的とする科学研究は絶対に行わない」とした1950年と67年の声明を継承したものです。秘匿性や不透明性が伴う軍事転用可能な研究については、学問の公開性や平和的な利用可能性という見地からも距離を置き、たとえ軍事と民生との境が曖昧であっても、いや曖昧だからこそ、倫理的な節度と良心を重んじるべきだという基本的な理念です。こうしたノーブレスオブリージュ(高貴な使命に伴う義務)の上に学術会議は発足したはずで、国もこの間、それを尊重してきたのではないでしょうか。
第3の問題は、そうした学者コミュニティーとしての学術会議が今後もノーブレスオブリージュを具体的に実践し、科学の平和的な発展と目的に貢献していくために、発足以来の組織と人事、予算や位置付けのままでいいのかという点です。もし現政権にそうした在り方に不満の声があり、前例踏襲主義を打破すべきというのなら、別途国会で検討委員会を設け、学術会議法の改正の可否について適正な手続きを通じて審議すべきです。ここに述べた次元の異なる三つの問題をごちゃ混ぜに論議するのは、議論の本位を欠いた曲論としか言いようがありません。
姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2020年10月19日号