半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「日記50年 図らずも知る三島由紀夫の凄さ」
セトウチさんへ
えーっ、一晩で読んじゃったんですか? 700頁(ページ)の本を。『創作の秘宝日記』(文藝春秋)を。セトウチさんの健康を心配しているのに、これじゃ、毒書ですね。僕が日記を書き始めたのは1970年、大阪万博の年ですが、その一月に交通事故に遭って、二度入院(計四カ月)したのを契機に、病床日記でも書くか、ということで始めて、今日まで、一日も休みなく書き続けてきました。もうこうなったらクセですね。50年間続いていますが、すでに何冊も出版しています。
日記は書くことは書きますが、読み直すということは、本にする時、ゲラ校正で読むくらいで、じゃ、何(な)んのために書いているのか自分でもよくわかりませんが、今日一日が無事、死なないで終ったか、そりゃ有難(ありがた)いことでしたという感謝というほどではないけれど、まあ一日のケジメですかね。
三島(由紀夫)さんが死ぬ三日前に電話で当時「芸術生活」という雑誌に書いていた日記を読んで、「君が入院している時、見舞(みまい)に行った俺のことは一行も書かないで、高倉健と浅丘ルリ子が来て、嬉(うれ)しそうなことは書いているが、なぜ、俺のことは書いていないのだ」と、死ぬ三日前に、死ぬことがわかっている人が言う言葉ですかね。三島さんは自分の死にも、こんなことで文句いえる余裕があったんですね。凄(すご)い人ですね。
僕の日記の最初の一行目は、前夜見た夢の話を書いています。知らない人が読むと、突然非現実的なことが起こるので、大抵の人はびっくりするでしょうね。夢と現実の区別がないので、これは創作日記では? と思う人がいるかも知れませんが、僕にとっては夢も現実です。夜の現実と昼の現実がミックスされて、僕という存在があるわけです。意識と無意識は別々ではなく、ひとつのものです。このことは創作のあり方、そのものです。夢と現実を一緒くたにしてどこがおかしいですか、変ですか、でしょ?