「この試合に対する全て、そしてジェリコにお礼がしたい。まさにミスターメインイベントという戦いでした」とオメガは名コメントを残した。

 その後のジェリコの動きは早く、標的を内藤哲也に絞ると1年にわたる長期物語を作り上げた。

 敗戦翌日18年1月5日後楽園ホール大会に乱入。「背後に気をつけるんだな」と発言したが、その後は時間が開いた。一時は新日本との契約終了まで公言したジェリコだったが、5月4日福岡大会に出現。試合後に退場時の内藤を場外で『襲撃』し大流血させた。6月9日大阪で組まれたタイトル戦、ジェリコは内藤から『IWGPインターコンチネンタル王座』を奪取。翌19年1月4日、内藤が『ノーDQマッチ』で同王座を取り戻すまでの間、2人の挑発合戦と熱戦は続いた。

 元祖・本家と言われる『IWGPヘビー級王座』。それに比べて知名度、重厚度がまだまだ劣る2王座に世間の注目を集めさせた。またその後にできた米新団体AEWでは、ジェリコとオメガの対戦が目玉カードとなる。新日本においてジェリコの絡んだ『襲撃』は、プロレス界の流れに大きな意味を持たせた。米国マットで長年スーパースターとして磨き上げたテクニックは健在で、さすがの一言である。

 振り返ると『襲撃』の歴史は新日本のオハコとも言える。しかし全日本においても歴史に残るインパクトを残したものがあった。

 81年12月13日、東京・蔵前での『世界最強タッグ決定リーグ戦』最終戦のスタン・ハンセンだ。

 ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドについていたハンセン。試合終盤テリー・ファンクに対し、場外でウエスタンラリアットを見舞った。その後のハンセンは全日本のトップ外国人になったことを考えると、初登場で残した強烈な爪痕にメッセージ性を感じてしまう。

『襲撃』は対戦へ向けてのあおりや演出の場合も多い。しかしそれによって歴史に残るスター選手を生み出す場合もある。我々を興奮させ、時には怒りや憎悪の感情を抱かせる。

 鍛え上げた肉体のぶつかり合い、スポーツマンシップに沿った正々堂々の戦いも良い。同時に『襲撃』など、狂気的な場面も記憶に残り続ける。プロレスの振り幅の広さを感じさせてくれる名シーンがそこにも存在する。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。

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