
11月1日に投開票が行われた大阪都構想をめぐる住民投票は、約1万7000票という僅差で反対が賛成を上回った。このことは、実は菅義偉首相にとっても大きな打撃になりかねない。
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維新と近かった菅首相は今回、明言はしなかったものの、都構想に「賛成」だったと思われる。一方、「盟友」のはずの二階俊博幹事長は、都構想に「反対」の立場。両者の間で、水面下の主導権争いが展開していたのだ。大阪都構想をめぐる人脈図を分析すると、2人の「本当の関係性」が浮かび上がってきた──。
「聞いていない」
二階幹事長が記者会見で発したこの一言が、菅政権を震撼させた。
発端は、西村康稔経済再生相が年末年始の休暇を1月11日まで延ばすよう呼びかけたこと。休日が延びると年明けとも言われる衆院解散の時期に影響しかねない。西村氏が相談もなく発表したことに、二階氏は怒りをあらわにしたのだ。
二階氏の反発を招いた西村氏は10月28日に党本部を訪問。「与党と連携して取り組んでいきたい。改めて強く胸に刻んで対応したい」と反省の弁を述べた。現職の大臣が党への連絡不足で事実上の謝罪に追い込まれたことは、「官邸一強」と言われた安倍晋三政権では見られなかった光景だ。
無派閥で総裁選を制した菅首相にとって、勝利への道筋を作った二階氏は最大の功労者で、その意向には配慮せざるを得ない。すでに永田町の天気図は「政高党低」から「党高政低」に移ったかに見えるが、菅氏も屈したわけではないという。政治ジャーナリストの角谷浩一氏がこう語る。
「永田町で今ささやかれているのは、菅氏と二階氏の間がギクシャクしているということ。菅氏は初外遊先のベトナムとインドネシアで『中国包囲網』ともとれる『自由で開かれたインド太平洋』構想について話した。これでは親中派の二階氏の顔が立ちません。内心、『誰のおかげで首相になれたんだ』と思ったでしょうし、一方の菅氏には『首相になったのだから、もう二階氏の顔色をうかがう必要はない』という感覚があるのではないか」