俳優、脚本家の佐藤二朗さん
俳優、脚本家の佐藤二朗さん
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 個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、人をうらやむ気持ちについて。

【写真】顔がデカい?仏の笑顔の佐藤二朗さん

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「うらやましい」と思う人が、僕にはたくさんいる。

 まず、折り畳み傘をキレイに畳める人がうらやましい。

 まあ僕の手先が病的に不器用ということもあるだろうが、なんというか、「折り畳み傘をキレイに畳む」、その構造というか、道筋というか仕組みというか、そういうものが、もともと僕の脳内には存在しない気がする。折り畳み傘が畳めないくらいで随分と大仰な言い訳をしてると思われるかもしれないが、そうとしか思えないほどに何度チャレンジしてもうまく畳めない。

 顔が小さい人がうらやましい。

 これはもう、いまさら説明不要かもしれないが、僕は顔が大きい。陽が東から昇り、西に沈むくらい当たり前に、佐藤二朗の顔は大きい。かつて整体師の先生から「佐藤さん、あなたは人一倍、首をいたわりなさい。あなたの顔は、ちょっとビックリするくらい大きいから、首に非常に負担が掛かる。たとえるなら、爪楊枝でリンゴを支えてるようなものです」と、血も涙もない例え話をされ、ウケを狙って言ったのかと先生の顔を見たら、完全なる真顔だったことがある。首への負担以外にも、やはり小顔はうらやましい。小顔なら、目鼻口が凝縮される。その美しさはうらやましい限り。俺の目鼻口、全然凝縮されてない。だだっぴろい、ただただ広いだけの土地に、思い出したようにポツン、ポツンと目や鼻や口が点在している。そんな感じだ。

 自分で書いてて悲しくなってきたが、まだまだいるのだ。うらやましい人は。

 泰然自若とした人。物事に動じず、逆境にあっても冷静沈着に判断ができる人。

 当コラムにも何度か書いているが、ミスターテンパリストの名をほしいままにする僕は、ふところ浅く、キャパ狭く、器小さく、度量小さく、ケツの穴も小さい。なぜに自らをこんなボロクソに書いてるのか自分でもよく分からなくなってきているが、正直言ってそうなのだ。なんか、こう、もう少し人間としての度量の目盛りを増やすチケットみたいなものがあるなら、もし多少高額であったとしても、思いきって買い求めたい。妻の許可を得て。分割で(←度量小)。

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あとはもうアレだ、ぶっちゃけアレ