こうしたノウハウを発揮できたのは、“元ギャル”だった生駒さん自身が「SNS黎明期」から培ってきた経験があったからだ。
生駒さんはグラフィックデザインの専門学校を卒業後、21歳でアパレル企業に就職。当時はブログやミクシィが全盛の時代。配属先は新興のギャルブランドゆえ「販促」に大きなお金はかけられず、ミクシィでセールの情報を流していた。
「会社公認ではなく、個人的に、匿名でやっていました。ミクシィの一般ユーザーとしてセールの情報を届けてみたら、ユーザーから『なんでそんな情報知ってるんですか』『もっと教えてください』とリアクションがあって、それがうれしかったのを覚えています」
生駒さんが初めてInstagram(以下、インスタ)に触れたのは、2011年ごろ。まだ黎明期でシェアやDMの機能もついておらず、日本では「写真を加工するためのアプリ」として知られていただけだったが、すでにアメリカでは普及していた。「#(ハッシュタグ)」の機能が導入されると、生駒さんは海外インスタグラマーから得られる情報に夢中になった。
「例えば『#iPhoneCase』で調べると、日本では見たことのないような、かわいいものがたくさん。かつ、世界のブロガーさんと同じアイテムが買えるのを体験できて、刺激的でした。毎日、朝方の4時ぐらいまでインスタを眺めていました」
アパレルの販促ツールとしても、ポテンシャルの高さを感じた生駒さんは、担当ブランドの公式アカウントを開設。当時絶大な人気を誇っていた5人のカリスマスタッフ「リエンダガールズ」たちにも個人アカウントでの発信を依頼した。
「彼女たちは見た目もかわいいし、大人気でしたが、ブログやSNSは、改善の余地がすごくありました。載せる写真の枚数が足りなかったり、撮り方が盛れていなかったり、文章が短かったりと、見せ方がうまくなかった。それらを改善するために教育を始めました」