サザンの桑田佳祐が坂本冬美のために楽曲を作った。他アーティストへの楽曲提供は23年ぶりだという。演歌歌手とポップスターとの化学反応は、どう実現したのか。AERA 2020年11月30日号に掲載された記事を紹介する。
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悪い男だと知りながらも、いつか結ばれることを信じて尽くしてきた“私”。しかし、願いも空しく男に手をかけられ、土の中に埋められてしまう──。
坂本冬美の通算51枚目のシングル「ブッダのように私は死んだ」は、道ならぬ恋にのめり込んだ女の悲しい末路が描かれた“歌謡サスペンス劇場”だ。作詞作曲はサザンオールスターズの桑田佳祐。一筋縄ではいかない、まさに“桑田節”としか言いようのないフレーズがちりばめられている。
■歌うたびに新しい発見
タイトルもそうですが、インパクトのある言葉が多くて。でも、この強烈な詞に桑田さんのサウンドがのっかると、すごくポップに聞こえる。もうね、魔法ですよ、桑田さんマジック(笑)。そして歌うたびに新しい発見がある。「この一言には違った意味が込められているんじゃないか?」とか、歌詞の行間や隙間にこちらの想像力が次から次へと広がっていくんです。こんな歌はないですね。例えば年齢を重ねたり、経験を積んだりすることで捉え方が変わってくる歌はたくさんありますが、歌うたびに新しい発見があるというのは初めての感覚です。
坂本の桑田への思いは、強くて深い。19歳で上京し、「あばれ太鼓」でデビューした当時から、プロフィルの「好きなアーティスト」欄にその名を書き続けてきた。
サザンとの出会いは中学時代。私は小さい頃から石川さゆりさんのような演歌歌手になりたくて、ずっと演歌ばかり聴いて育ったんです。でも、初恋の山本君という子がサザンの大ファンで、デートの時にいつもラジカセを持ってきて曲を聴かせてくれて。演歌の七五調の曲しか知らなかった私にとって「勝手にシンドバッド」は衝撃的でした。そして歌手デビューして、いつからか桑田さんに曲を書いていただきたいという夢を持っていましたが、同じ歌謡界にいてもそう簡単にお会いできるものでもなく、自分も演歌歌手として忙しく日々を過ごす中で、「これは叶わぬ夢なんだ」と諦めていたんです。