「弓子はバリキャリのくせに主体性がないんだよなー」といって夫との関係が破綻したのは弓子の人生観に原因があると指摘し、不倫関係が相手の妻にバレて泥沼化した美玖のことを「悲劇のヒロイン欲、自己顕示欲、暴露欲、すべて一気に満たされたんだから楽しいに決まってるじゃん」と看破する。およそ遠慮というものがない。いわれる側は、心がえぐられる。

 それでもユリの物言いには、最終的にどこか突き放すようなところがある。選択するのは自分。結局は、別個の人間だと認め合っているからではないか。

 ここで、男性社会に過剰適応している友人とのつき合いをやめたというEさん(30代)の話を紹介しよう。

「婚活中だった彼女は、女性は若くないとダメ、痩せて美しくないとダメ、料理ができないとダメ、仕事ができると思われると男性に選んでもらえないからダメ……という考えにとらわれていました。それはエイジズムやルッキズム、そしてジェンダーバイアスというものだということよと話しましたが、それでは結婚できないから自分はそんな生き方をしないといわれてしまいました」

 友人自身も苦しそうだったが、会うたびに聞かされるとEさん自身がつらくなってしまい、次第に連絡を取らなくなりフェイドアウトしたという。それまでに多くの時間をともに過ごし、互いに自己を開示し合っていれば、価値観のズレを多少感じたとしても関係はつづく。しかし、許容できないとなると話は別だ。

 20代、30代はライフイベントがつづく。そのたびに価値観がゆらぎ、離れていく友人もいれば、新たに出会う友人もいる。『fishy』のユリは思ったことをすべて口にするが、一方で肚の底が見えないミステリアスさがある。何か重大な秘密を抱えている節もある。

 その秘密を弓子と美玖が知ったとして、それは許容できるものか、できないものか。それによって3人の関係はどうなるだろう。秘密がなかったとしても、先のことはわからない。女性同士の関係はとても流動的で、だからこそ、共有している“いま、このとき”が大事なのだと『fishy』は教えてくれる。(文/三浦ゆえ)