「美白の女王」として、バブル崩壊後の日本で一大ブームを巻き起こした鈴木その子さん。急逝してから、12月5日で20年がたつ。一度見たら忘れられない白さと、バラエティー番組での受け答えのかわいらしさ。それでいて、カリスマ経営者でもあった。関係者の話から、鈴木その子さんの人物像に迫ってみたい。
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「わずか3年ばかりのことでしたので、強い閃光を残して白色彗星のように駆け抜けた感が強いです。ブームの火付け役を担ったことは、その後の『猛獣使い』としてのスキルを買われて芸能活動の自信になりました」
浅草キッドの水道橋博士は、このように「その子先生」をしのんだ。意外と知らない人も多いが、浅草キッドの2人こそがテレビの世界に「鈴木その子」を引っ張り出して、世間を熱狂させた張本人なのだ。
バブル経済が完全に弾けた後の20世紀末、「鈴木その子」は一種の社会現象だった。屋上にその子さんの白い顔の看板が掲げられた銀座のビルは東京の新名所になり、「笑っていいとも」にも准レギュラーで出演、紅白歌合戦にも白組応援団で駆けつけた。いつしか白すぎる顔も「不気味」を通り越して「かわいい」に。育ちの良さを感じさせるキャラクターとあいまって、その子人形や携帯ストラップなどのグッズも大人気になった。
ただ、浅草キッドの2人は当初、ブームを予見していたわけではなかったという。水道橋博士が振り返る。
「(ブームは)まったく予想だにしていませんでした。その子先生に冗談で言っていた話が現実にかなって目を白黒させましたよ」
その子さんがテレビのバラエティーに出るようになったきっかけは、浅草キッドの2人が担当していた深夜番組「未来ナース」。その番組で、その子さんの豪邸を探訪するという企画があった。初対面の日、あろうことか、2人はその子さんの面前で以下のような実況をやってのけた。
「場所は目黒ですが、お肌は真っ白、ご本人は、リアル“シロガネーゼ”でしょう」
「誤解しないでください。ここは熱海のホテルのローマ風呂大浴場じゃありません!」
「我々、決してマルサの査察官ではありません」
「フィリピンのイメルダ夫人の隠し財産を調査しているわけではありません!」
「経済ジャーナリストの皆さん!日本のバブルは弾けておりません!この部屋を見れば、内閣府も経済白書を上方修正するでしょう」
「さてさて、さきほどから紹介しているこの家の持ち主は、伯爵夫人ならぬ色白夫人、映画『スクリーム』の白い仮面のモデルになった方です!」
(浅草キッド著『お笑い 男の星座2』より)
こんなことを言われたら、不快に思っても当然。ましてその子さんは一般人。スタッフは冷や汗をかいていたという。ところがその時、その子さんはプロに委ねるという判断をしたという。その子さんの発言を同書から抜粋する。