この後、高橋氏の中で、何かが変わった。

「翌朝、目が覚めると、『もういいかな』って思っている自分がいました。『もういいかな』というのは、僕では通用しないという諦めの意味ではないんです。自分でもうまく説明できない感情で……理由は今でも分からないですが、NPBの球団から連絡が来ないまま(期限の)一週間が過ぎても、去年のような悔しさはありませんでした」

 引退を決意し、野球の道具はすべて新潟の実家に送った。

 それから2年――。

 7日に行われた今年のトライアウトには、巨人時代の先輩だった宮国椋丞、吉川大幾が参加した。まだ28歳、高橋氏の一歳年上の2人が野球選手として「生死」をかけた場に挑んだ。

 高橋氏は、一時期は野球から離れ営業マン生活を送ったが、縁あって今は山梨県の女子硬式野球チーム「バンディッツ・ガールズ」の監督に就いている。中学生の硬式野球チームも指導している。再び野球を仕事とする世界に戻った今、2度のトライアウト挑戦に何を思うのか。

「受けて良かった……うーん、でもどうなんだろう。結局、あきらめることができなかったんですよ。2回とも(NPB球団に)受かる気で参加したけど結果は出ず、引退しました。じゃあ、2回も挑戦したんだから十分やり切ったんだろうと言われると、『燃え尽きるほどやってないじゃん』と思う自分もいます。ただ、子どもたちを教える側に回ってみると、トライアウトを、あの選手たちの姿を子供たちにみせてあげたいという思いは湧きました」

 そして、こう続ける。

「トライアウトが自分にとって何だったのかは、今でもうまく話せません。でも、自分自身が、何か強くなれたのかなとは思っています」

(AERAdot.編集部)

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