「いままで圧殺してきた記憶や感情がけっこうあって。書くことでその弁が緩んじゃったな、という感覚があります」
「舟を編む」「町田くんの世界」、公開中の「生きちゃった」など数々の話題作で知られる映画監督・石井裕也さん(37)が初エッセイ『映画演出・個人的研究課題』(朝日新聞出版、1700円・税抜き)を上梓した。
映画、とタイトルにあるが、中身は映画の話だけではない。小1で母を亡くした経験、暗黒だった思春期──ときに痛烈な社会批判を交えながら、自身を赤裸々に綴った。
「22歳で大学の卒業制作で撮った映画が評価されてはじめて『人生の醍醐味』みたいなものを実感できたと思うんです。それまでは学校も自分の置かれた状況も何もかもが気に入らなくて、不満だらけだった。いま思うと『母親の死』という触れられたくない部分を、必死で隠していたんだと思います。相当にねじれていましたね」
苦しみながら映画という救済にたどり着く過程は、多くの悩める人に勇気を与えるだろう。文体は簡潔でリズミカル。読みやすく、ときに笑いを誘う。
例えば、短編映画「ファンキー」についての一編。ワケあって水没した地球という設定で、スタジオのアパートのセットに大量の水を注入した。
「主人公が部屋の中から屋外に泳いで出て、さらに街の中を泳いでいく、というすごく面白いシーンがある。『あの、一体それの何が面白いんでしょうか』そういう問い合わせは受け付けない」
プッ。だが数行後に、
「傲慢だが、やりたいことをとことんやる。本当にすいません」
と、謙虚に落とすのだ。執筆はかなり早いという。
「映画の脚本って完結しないんです。映画が完成するまで書いたものがよかったのか悪かったのかわからない。だから気持ちは一向に静まらない。エッセイは確実に完結するので精神的にはありがたい」
「約束」という一編には、幼いころ近所に知的障害のある女の子が住んでいた話が登場する。幼かった石井監督に母は「彼女を守りなさい」「常に弱い人の味方でいなさい」と言った。辺野古問題、貧困、えん罪、テロ──日々のニュースに向き合うとき、その言葉を思い出す。
「全編を通して書いたのは、やっぱり“不満”なんじゃないかなと思うんです。自粛や萎縮に支配されたいまの社会の流れのあやうさに、どうにか一矢報いるための僕なりの態度だった」
俳優の池松壮亮さんは解説に「闘うものが発する言葉」と書いた。
「映画も本も同じです。何かしらいまの状況が不満で、まずいと思うから何かを探そうとする。『オレも悩んでるんですけど、みなさん、どうですか』って。同じように感じている人たちに、届けばいいなと思っています」
先日撮り終えたばかりの最新作は、ずばり母親の物語だという。執筆で自身に向き合った末の新作が楽しみでたまらない。(中村千晶)
※週刊朝日 2020年12月18日号