後世に“3.11”をどう伝えるか――。東日本大震災からまもなく2年を迎えようとしている2月15日、宮城県気仙沼市の小さな民家で、20代の若者たち7人が熱い議論を交わしていた。議論の進行役は、気仙沼市で子どもの学習支援などに取り組むNPO法人「底上げ」事務局長の成宮崇史さん。
今でこそ「底上げ」に集まる若者のリーダーとして活動する成宮さんも、初めて気仙沼に来たのは2011年8月だった。勤めていた東京都内のカフェを辞め、被災地の支援をしようと考えた。
「最初は3カ月ぐらいで帰るつもりでした。でも、地元の人と付き合いが深くなるにつれ、瓦礫処理以外のところで、もっと気仙沼の人たちのために働きたくなってきました。そのときに今の団体をボランティア仲間と立ち上げて、気仙沼に居続けることにしたんです」
成宮さんのような若者は、決して珍しくはない。気仙沼市中心部から約10キロほど東に行った場所にある唐桑(からくわ)半島。そこで復興支援の活動をしている加藤拓馬さんも、震災後に移住した若者の一人だ。
「被災地に長くいればいるほど、地元の本音が聞こえてくる。『もうここでは生きていけない』という嘆きも聞きました。瓦礫が片付いて、見える部分はきれいになっても、心の中はボロボロになっていく被災者も多い。それに気づいたのが11年の秋ごろで、まだまだ被災地を離れられないと思ったんです」
復興の遅れが指摘されるなかで、移住した若者たちの多くは地元の住民とつながり、小さな活動を続けている。その存在感は、これからも高まっていくはずだ。
※週刊朝日 2013年3月15日号