経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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いささか衝撃的な体験をした。バンコール(bancor)という言葉がある。かのJ.M.ケインズによる造語だ。人造超国家通貨バンコールを、戦後の国際通貨体制の軸に置く。それがケインズの構想だった。この案とアメリカ案の攻防を経て、IMF体制が生まれた。
このバンコールという実に面白い決済手段について、我が授業で議論したいと思い、受講者の皆さんに予習をお願いした。すると、圧倒的多数の学生さんたちが「バンコール・プロトコル」という名前の暗号資産について勉強して来てしまった。
それもそのはずである。どうしてこういうことになるのかと思ってネット検索してみたところ、「バンコール」だけで検索をかけると、「バンコール・プロトコル」に関する情報しか出て来ない。「バンコール・ケインズ」とか、「バンコール・IMF」と入力しないと、通貨・金融史上の重要概念であるバンコールに到達出来ないのである。
去年までは、こんなことはなかった。少々、戦慄を覚えた。「バンコール・プロトコル」の考案者たちも、ケインズのバンコールにあやかろうとした節はある。だが、彼らのウェブサイトをみると、そこにケインズのバンコールに関する深い理解は示されていない。ところが、このまま行くとJ.M.ケインズとは、すなわち「バンコール・プロトコル」の考案者だということになってしまうかもしれない。
思えば、言葉を巡る行き違いはほかにもある。近頃は、「ドン・キホーテ」を話題にすると、セルバンテスの小説ではなくて、安売り店の話だと思う若者がいる。笑いを取るつもりで、「ディスカウント店のことじゃありませんよ」と言ったら、「えっ。違うんですか」というレスポンスが返ってきてしまった。「君の名は」もそうだ。講演などで、「『君の名は』というと、世代によってイメージするものが全然違いますよね」というと、笑ってくれる世代とキョトンとする世代に会場が割れる。
記憶と記録の継承をどうするか。結構、深刻な問題だ。そのうち、「戦後」という言葉についての共通理解も消滅してしまうかもしれない。それを許してはならない。だが、果たしてどうするか。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2020年12月21日号