瞳:新型コロナの時代を経験したミュージシャンとして、何か残しておきたいと作った曲なんです。明日には何が起こるのかわからないような世の中になってしまいましたが、『Rock』と『Lock』をかけてロッカーとして『コロナなんかに負けないぞ』という思いをこめました。最近はリタイアした人も多く、影が薄くなりつつありますが、われわれ団塊の世代は激動の昭和、平成をたくましく生き抜いてきた。そんな団塊の世代に対してもなにか前向きなメッセージになればと願っています。

 ――ザ・タイガースの他のメンバーもコロナ禍でそれぞれに活動されていますが、お互いに連絡などは?

瞳:8月末にシロー(岸部四郎さん)が亡くなったので、何もない時ならそれで集まる機会もあったんでしょうが、こんなご時世ですからね……。沢田研二や森本太郎らとメールで近況を伝え合うくらいですね

 ――プライベートでは19年3月11日にお子さんが誕生されました。コロナ禍の育児はご苦労も多いかと思います。

瞳:もうすぐ2歳になるので、いろんな所に連れて行ってやりたいなと思うんですが、ままならなくてかわいそうですね。公園やスーパーマーケットも人が多いから一緒に行けないし、不便を感じることは多々あります。ただ、ライブは平気なんだけど、なぜか子育てになると年齢的なキツさを感じます(笑)。とくにおんぶや肩車が長時間になるとしんどいですね。でも、子どもの笑顔はすべての苦労を癒やしてくれますよ。この年でまたこんな風景に出会えることには感謝しかありません。

 ――70代でパパになるというのはすごいご体験ですが、ザ・タイガースのみなさんから何かコメントはありましたか?

瞳:子どもについてはありませんでしたが、妻と年齢が35歳離れていることについては、岸部一徳から「それは犯罪行為だよ」と突っ込まれましたね(笑)。

 21年1月11日のライブツアーファイナル「四谷区民ホール」(東京都)に備えて日々、ドラムのトレーニングに余念がないという瞳さん。年齢を重ねても情熱を失わないどころか、その熱いメッセージを世に発信する姿は、年の差にして半分以下の筆者にとってもまぶしく映った。(中将タカノリ)

◎ひとみ・みのる
1946年9月22日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から引退。解散直後に高校(京都府立山城高等学校)に復学し、1年間の猛勉強で慶応義塾大学文学部に合格。文学部中国文学科を卒業後、同大文学部の修士課程を経て慶応高校で教壇に立つ。2011年に芸能界へ復帰し、ザ・タイガースのメンバーとも積極的に競演する。20年はインタビューにある「Lock Down」に加え、大阪市・岸里で過ごしたアマチュア時代を振り返った「明月荘ブルース」、ザ・タイガースとして上京して以来の思いをつづった「ロード246」の計3枚のシングルをリリースした。

※週刊朝日オンライン限定記事