2010年1月、会社更生法を適用されて倒産した日本航空(JAL)を、V字回復へと導いた稲盛和夫氏(81)。京セラや第二電電(KDD)の創業者として知られる稲盛氏は、JALの再生過程の苦労を次のように話す。
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JALはエリート集団で、官僚の天下りも大勢受け入れてきたので、倒産したとき、社員たちは「自分たちのせいでつぶれたわけじゃない。経営の責任だ。国が悪い」などと、どこか他人事のようで、当事者意識が希薄に見えました。政府や企業再生支援機構が支援し、飛行機を飛ばし続けながら再生するという手法を選択したので、つぶれた実感がないのかもしれない。それなら、社員の考え方そのものを変えなければならないと決意しました。そこで、「飛行機を止めると会社が再起不能になるので事業は継続しているが、JALは完全につぶれたんですよ。政府の支援がなければ、皆さんは今頃、職業安定所に行って職を探さなければならなかった。これだけの迷惑を多くの関係者にかけ、再生しようとしている現実を直視し、謙虚になってください」と諄々(じゅんじゅん)と説きました。
JALは倒産したので株主優待券がなくなり、全日空との価格競争になると非常に不利だと幹部たちは弱音を吐きました。でも、「それは仕方ないだろう。うちが再上場すれば、株主優待券はまた出せる。それまで辛抱して頑張ろう」と叱咤しました。とはいえ、資金繰りの相談をすると銀行から手厳しく叱責され、なかなかお金を貸してもらえない。苦労の連続でした。まあ、JALが借金を踏み倒したんだから仕方ありませんが、これはキツかった。銀行幹部にお目にかかると最初に「多大なご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」と頭を下げましたが、「何を担保に、カネを貸してくれと言うんですか」と、けんもほろろの扱いでした。経営を安定させるため、企業再生支援機構が注入してくれた3500億円の資本金に加えて、機構から500億円程度増資すべきだとのお話があり、一緒に出資者を探しましたが、127億円しか集まりませんでした。
※週刊朝日 2013年3月22日号