

ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、コロナ禍の2020年、家で過ごした日々について。
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昼、皿いっぱいのサラダと、昨日のすき焼きにうどんを入れたのを食い、皿洗いをしながらヤカンをコンロにかけた。グラインダーでコーヒー豆を挽き、ポットにペーパーをセットする。洗った皿をタオルで拭いていたら、煙が眼にとまった。下を向くとシャツの裾が燃えている。
「熱っちちち」慌てて火を払った。ボウルの水を手ですくってかけると無事に鎮火した。
すぐそばに座っていたよめはんは、いつもなら笑うのに笑わず、「火傷は」と真顔でいった。
「いや、どうってことない」
シャツの裾は黒い灰になり、十センチほど焼失していた。ジャージのパンツも少し焦げている。ヤカンの下から出ていた火が燃え移ったらしい。
「カチカチ山みたい」よめはんはいう。
「認知症がすすんだら、こんな事故もあるんやろな」
「そう。ピヨコはおじいさんなんやで」「ハニャコはおばあさんやないか」「ちがいます。ピヨコはわるいタヌキで、わたしはかわいいウサギです」「次は泥舟に乗せられて沈むんか」「泥舟って、どうやって作るんかな。粘土を舟の形にして焼くんやろか」「それはすごい大きな窯が要る。窯があっても、焼いたときに割れるわな」
──ずいぶん前、京都市立芸大彫刻科の教授が中国政府に招かれて秦始皇帝の兵馬俑坑の見学に行ったときの話を思い出した。教授によると、兵馬俑の断面は自重を支えるため上から下へ厚くなっている、あれだけ大きなものを接がずに、ヒビも割れもなく焼く技術は生半可ではない、ということだった──。
「泥舟は、竹を編んで隙間に粘土を塗り込むのがええやろ」「そんなややこしいこと、ハニャコには無理やわ」「誰もあんたに作ってくれとはいわへん」
論旨がずれまくっている。そもそも、なんでわたしがわるいタヌキなのか。