そして3・11が起き、あの津波と破壊された原発の生々しさを見るに及んでその絵画の持つ重大な意味に思い至ったのだった。
そして今年二〇二一年を迎えたのだが、考えてみると二〇二〇年はあって無きがごとき一年だった。
オリンピックは一年延期になったが、全てのロゴは二〇二〇年のままだというように一年飛び越してしまった気がする。
言うまでもないコロナが席捲した一年。自分自身とつき合うことに必死になっているうちに新しい年になっていた。
河原温さんが生きていたら、この一年をどう記すだろうか。
伊丹十三さんは、映画監督や俳優として、どう受け止めただろうか。
そして私は、時計になり切って無機質に「○時○分になります。ピッピッポーン」と刻んだ日々を、もはや戻ることのない時の大切さを、噛みしめている。
※週刊朝日 2021年1月22日号
■下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『年齢は捨てなさい』ほか多数