私は北岡氏のことは知らなかったが、ジャーナリズム界の広河隆一氏のように、福祉業界ではその業績によって圧倒的権威を持ち、敬意を払われてきた第一人者だ。被害者によると、政治家とのつながりも深く、影響力があり、組織内では誰もあらがえない空気があったという。実際、北岡氏が日常的に「マンコ」「インサート」などといった言葉で女性たちをからかい、出張となれば肌着姿の北岡氏の部屋で飲み会が開かれ、女性スタッフにマッサージをさせることもあり、原告女性とのありもしない性関係を吹聴し、体の特徴を笑うようなことは周知の事実だった。それでも、北岡氏に忠言する人はいなかったという。

 原告の2人は自身の精神状態を崩すまで耐えてきた。それは「ケアワーカーには自己犠牲の精神が必要」「訴えたら施設を利用している人が不安になる」「セクハラを受け流すのがプロ」という習慣が福祉業界に根深くあるからだ。なにより、強い立場を持つ北岡氏を訴えても、つぶされるのは自分のほうだと恐れた。

 コロナ禍で、ケアワークの多くを女性が占めることが可視化されている。介護、看護といった「女性が担うべきだ」とされてきた領域は、その労働の重さに対し賃金は低い。ところが社会福祉法人組織の中枢に行けば行くほど、決定の場に男性しかいなくなる。北岡氏が理事や理事長を務めていた法人もまさにそのようなものだった。中高年男性中心で管理する組織で、セクハラが地位関係を利用した性差別・性暴力であることは長い間理解されなかった。女性のやりがいが搾取され、性を搾取され、訴えようとする声はつぶされる。原告の一人の被害は10年以上にも及んでいる。もうこれ以上の沈黙をしたくない、福祉業界そのものの体質を変えたい、という人生をかけるような決意で、2人の原告は立ち上がった。

 北岡氏に対する訴えは民事裁判であり、刑法改正と絡む話ではない。それでも、地位関係性を利用した性交が犯罪であることが刑法に明記されることは、職場や学校、施設などでの意識改善に大きく寄与することだろう。セクハラや性暴力は、尊厳を奪われ、時間を奪われ、人生を奪われる重大な事件だが、性加害者側からすれば気軽なコミュニケーション、何をやっても許される(と思っている)相手への甘えだったりする。そこに罪の意識は驚くほどない。だからこそ被害者が訴えると「訴えるなんてびっくり。目的は何ですか? 金ですか? 地位ですか? 僕の名誉毀損ですか?」と被害者意識を深めてしまうケースが少なくないのだ。また被害者側(多くは女性)も「大人なのだから断れたのでは?」などと言われ、断れなかった自分、うまく立ち回れなかった自分を責めてしまう傾向もある。だからこそ、社会全体で地位関係性を利用した性行為に厳しく臨む姿勢、意識改革が必要だ。

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裁判では争う姿勢