※写真はイメージです (GettyImages)
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 小説家・長薗安浩氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『JR上野駅公園口』(柳美里著、河出文庫・600円)を取り上げる。

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 昨年、アメリカの文学賞で最も権威がある賞の一つ、全米図書賞の翻訳文学部門に、柳美里の小説『JR上野駅公園口』が選ばれた。日本で7年前に刊行されたこの作品は、天皇(現・上皇)と同じ年に生まれた男の人生が本人を語り部として綴られ、戦後日本の歪みをリアルに描いていく。

 福島県相馬郡八沢村(現・南相馬市鹿島区)の貧しい農家に生まれた男は、終戦を迎えてほどなく出稼ぎに出た。まだ12歳だった。幼なじみと結婚し、皇太子(今上天皇)と同じ日に長男が生まれて3年後、東京オリンピックの会場建設現場で働くために常磐線で上京。息子を21歳の若さで亡くすも働き続け、60歳になってようやく出稼ぎをやめて郷里に帰った。

 結婚して37年たっていたが、妻と暮らした日々は全部で1年にも満たなかったから、夫婦水入らずの生活は新鮮だった。しかし7年後、妻は急死してしまう。長女の娘が祖父を気遣って同居してくれるが申し訳なく、家を出て再び上京し、上野恩賜公園でホームレスとなった。そして行幸のために公園で山狩りが行われ、それでも天皇が乗る御料車に手を振った日、男は……

 過去と現在、生者と死者を交差させながら語る男は、運が悪いとよく嘆く。しかし、読者は読み進めるうちに、彼がこの国の歴史的、社会的構造の被害者なのだと理解するだろう。天皇家が日本の光の象徴であるならば、男は、上野駅へ降りたって高度経済成長を支えた人々が背負った闇の象徴なのだ。

 今回の快挙を機に、英語圏の読者が日本にどんな思いを抱くか気になるが、私はそれ以上に、上皇や今上天皇がこの作品を読まれることを切に願っている。

週刊朝日  2021年1月22日号